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「おっかしいなあ。閉鎖空間……解除されないね」
真夏が息を荒げながらそう言うと、残りのふたりはいちど互いに顔を見合わせてから同時に頷いた。
続いて真夏は制服が汚れるのも気にせず、倒れこむようにしてコンクリートの上に大の字になる。
真夏が、いや、私がオメガ・グラビティーを放ってから数分後、私たちはクレーターを見渡すビルの屋上にいた。
トランスで真夏の身体に大きな負荷をかけてまでガールズバーへ急ぐことを決めた私だったが、危機管理庁がこの閉鎖空間を解いてくれない限りは魂を身体へ戻すことができない。
おそらくいつものように残存魔力をスキャンするのに時間がかかっているのだろう。
しかしそれもあと数分で終わり、私たちは晴れてガールズバーへと向かえるわけだ。
「ねえ真夏ちゃん。そのトランス……って、そんなにしんどいの?」
聡子が心配そうに真夏の顔を覗き込む。
「うーん、何て言うのかな。もの凄くだるくなるの。夜中まで起きた次の日の朝の状態を、10倍にした感じ」
その言葉に聡子はあからさまに嫌な顔を浮かべ、有希乃は、分かる分かる、と頷いている。
「自分で入るタイミングはかれないし、しかもいきなり意識が飛んで、次に気づいたらこの状態なんだもん。初めてトランスしたときは、私、死んじゃうんじゃないかって思った」
そのリアルな言葉に、見えていないのが分かっていても私は真夏に、ごめん、のサインを送らずにはいられなかった。
(へー、トランスって、そんなにダメージあるんすねえ)
真鍋が腕を組みながらつぶやく。
(でも必要な時には使わないと、防御結界を張っているとはいっても相手が強い魔力を持った妖魔なんかだと子供が怪我しちゃうかもしれないからね)
私のテレパシーに真剣な顔で真鍋が頷いてから質問を寄こす。
(でも、トランスするタイミングってどう決めてるんすか?)
それに淀みなく答えたのは、意外なことに長谷川だった。
(自分が、もう限界だ、と感じたときだ)
私はその的確な言葉に思わず頷いていた。
(娘が目の前で痛そうにしている。治癒魔法があるとはいえ、そんな姿を見るのは親として辛いものだ。だから私自身がそれを見ていられなくなったとき、私の心がもう限界だと感じたときは、娘に負担がかかったとしてもトランスするようにしているよ)
私と真鍋が同時に、おお、と感嘆の声を漏らす。
(素晴らしいです。私も自分の娘が傷つく姿は見たくないですから)
おべっかではなく、私は本音で長谷川に賛辞を送った。
長谷川はすこし照れたようにして続ける。
(考えてもみろ。彼氏も作らずに穢れなく育ってきた娘の身体に傷が付くなんて、親としてこんなに悲しいことがあるか?)
私は目を閉じ、その通りです、とテレパシーを送った。
真鍋も深く頷きながら、長谷川を尊敬のまなざしで見ている。
(俺、長谷川さんのこと勘違いしてたみたいっす)
真鍋が頭を掻きながらそう口にした。
(いや、さっきハンマー・フォール使ったあと、懐かしい街だから景観を壊したくないって言ったでしょ? あんとき、こいつ空気読めないな、仕事できない奴かもな、って思ったんす)
ああ真鍋くん、大正解だ。
私は思考が漏れないように気を配りながらつぶやいた。
(でも話を聞いてたら、すごく娘さん想いなんだなって思ったのと、自分が大切にしてるものが傷ついたり壊れたりするのを見るのが辛い、優しい人なんだなって思ったんす。あんとき、失礼な態度取ってごめんなさい)
はじめ目を丸くしていた長谷川だったが、真鍋が話し終わって頭を下げるとにこやかに目を細めて、ありがとう、と笑った。
許されるのなら、私は真鍋に心から礼が言いたい。
部長の機嫌を援護射撃で底上げしてくれてありがとう、と。
これで私の望遠レンズが確実に近づいたのだから。
「ふたりってめっちゃ可愛いけどさ、彼氏いるの?」
聡子が真夏と有希乃の顔を交互に見比べながら聞く。
暇を持て余した少女たちは、いつの間にか恋愛トークに突入していた。
「私、いないもん」
体育座りになった真夏が口をへの字にして下を向く。
それを見て私は人知れず胸を撫でおろした。
時々、もしかして、と思うことはあったが、さすがにまだ16歳で、しかも親の目をごまかしながらそこまで嘘をつくのはうまくないだろう。
もし娘にそんな狡猾な嘘をつかれていたら、その親はあまりに可哀そうだ。
「私、彼氏いるよ」
にこやかな顔でそう言ったのは、有希乃だった。
真夏と聡子からは、きゃあっ、という黄色い声が飛び、長谷川からは、ずぇ? という謎のテレパシーが届いた。
私が横を見るとこれ以上ないほど目を見開いた長谷川が有希乃を凝視して固まっているが、その姿が見えない聡子は興味津々といった感じで続ける。
「マジでー? いいなー! え、いつから付き合ってんの?」
有希乃ははにかみながら、3か月前、と小さく口にしてから、お父さんには彼氏なんかいらないって嘘ついてるけどね、と付け加えた。
ふたりから、笑い声に混じってさらに大きな黄色い声が飛ぶ。
「もー、ラブラブじゃーん! え、じゃあキスした? チューしちゃった?」
今度は真夏が照れる有希乃の腕を肘で小突きながら質問する。
やめろ我が娘よ、開けようとしているそれは間違いなくパンドラの箱だ。
しかも魔物がすべて出払った後に残っているのは、希望ではなく魔物たちが遺していった糞尿だけという最悪のパターンのやつだ!
「先週の土曜日……、初めてキス、しちゃった」
頬を赤らめ、伏し目がちに有希乃が小さく答えた。
その前では真夏と聡子まで顔を真っ赤にして、やんややんやの大騒ぎだ。
一方その横では、ハゲ頭まで真っ赤になった長谷川が震えている。
(ちょ、これ、やばいパターンじゃねっすか?)
真鍋が私にだけ向けてテレパシーを飛ばし、私はそれに頷く。
「ねえ、どんなだった? どんな味した?」
有希乃の目の前で四つん這いになった真夏が身を乗り出す。
「ふたりで端からポッキー食べたから、そのときは甘かった、かな」
甘酸っぱい答えに、ふたりはコンクリートの上をごろごろと転がり始めた。
「すごいなあ、有希乃ちゃん! あー、私も早くキスしてえー!」
聡子が転がりつつ、何かを抱きしめるふりをしながら唇を尖らせている。
するとそこへ、少し真顔になった真夏が割り込んだ。
「そのときは、ってことは、もしかしてその先もしちゃった、ってこと?」
聡子が回転をぴたりと止め、期待のこもった顔で有希乃を覗き込んでいる。
長谷川は今まで見たこともないような表情で、首を無造作に振りはじめた。
「もう、なんで分かっちゃうのかなあ! 真夏ちゃんのいじわる……」
きっと絶望というのは、こういう状況を言うのだろう。
ついに私の目の前で真夏は魔物の遺した糞尿をぶちまけ始めたのだ。
「いい? 誰にも言わないでね。最後まではできなかったけど、キスされながら優しくおっぱトラアアアアアアアアンス!」
まばゆい光が有希乃を包み、暴走した魔力は光の柱となって空を穿った。
あまりの魔力に閉鎖空間全体が振動を起こし、オメガ・グラビティーの影響で弱った建物があちこちで崩れ始める。
突然のことに尻餅をついた真夏と聡子の視線の先では、歯を食いしばりながら有希乃が、いや、長谷川部長が滂沱の涙を流していた。
真鍋はこみ上げてくる笑いを懸命に堪えるように苦しそうな表情を浮かべ、何かを考えるように腕を組んでいる。
「ドヨウサアウノオナゴダッテユッテダベスタアアアアア!」
長谷川が叫んだ。
「え、何? 今の詠唱! なんとかバスターってカッコ良くない?」
聡子が目を輝かせながら有希乃を見つめる。
いや、違う。
今のは魔法の詠唱なんかじゃない。
5年前まで福島支社にいた私には分かる。
福島の言葉で、土曜に会うのは女の子だって言ってただろ、という意味だ!
次の瞬間、有希乃の身体は空高く舞い上がりながらバチバチと強烈な稲妻を身体に纏わせはじめた。
「やばい! アレが来る!」
いち早く危険に気付いた真夏が聡子を抱え上げ、大急ぎで上空へ避難する。
「インフィニティー・ボルトオオオオオ!」
有希乃の身体から放たれた金色の魔力は、かつての福島市の街並みと、私の望遠レンズの夢を一瞬で焦土に変えた。
茫然と瓦礫の広がる大地を眺めるしかできない私に、真鍋が悲しそうにテレパシーを飛ばす。
(長谷川さんの心、あの瞬間に限界になったんすねえ)
私がうなだれるのと同時に閉鎖空間は解除され、コーヒーショップの景色が広がった。
私の目の前で、おそらく魂が戻ったであろう長谷川は、涙を流しながら空のコーヒーカップを自動で口に運んでいる。
色々な意味で、私はなぜかスッキリしていた。
私はしばらく思いを馳せたあと、千円札を置いて席を立つ。
ガールズバーにキャンセルの電話を入れ、美園ちゃんに謝るために。
そして、ずるい手など使わずにまっとうな労働で得た自分の小遣いで、お疲れ様の意味を込めて真夏が好きなシューケーキを買って帰るために。
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