苦悩の魔法中年

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「ゆきちん! そっちにデカいのが2匹行った!」  高校の制服を纏った娘の真夏が、飛びかかってきた3匹のゴブリンをまとめてぺしゃんこにしながら叫ぶ。  我が娘ながら、ポニーテールと青いふちの眼鏡が実にかわいい。 「OK! 何とかする!」  大通りの向こう、長谷川有希乃が両手を高く掲げると俄かにその身体を光が包み、長い黒髪が魔力のうねりでふわりと持ち上がる。  いつも思うことだが、有希乃は父親があのハゲ部長であると信じられぬほどの清楚な美人だ。  それでいて薄桃色のワンピースにくっきり浮き出た胸は、娘と同じ16歳とはとても思えないほどふくよかときている。 「雷の顕現トールよ、裁きの鉄槌をここにふるえ! ハンマー・フォール!」  詠唱が終わった刹那、青く光る2メートルほどのハンマーがゴブリンの頭上に勢いよく振り下ろされた。  轟音とともに地面に亀裂が走り、真下にいたゴブリンは悲鳴をあげる間もなく煙となって消え失せる。 (部長! ナイスハンマー!) (早瀬、お前も頑張れよ!)  私のテレパシーに気を良くしたのか、有希乃の背中で半透明の長谷川がこちらに親指を立てている。 「1匹残ってる!」  私のヨイショに気づかない真夏が大声で叫ぶ。  見ると陥没した道路の脇、ハンマーから逃れたゴブリンが鋭い鉤爪を振り上げながら有希乃に飛びかかろうとしていた。 「炎の顕現サラマンドラよ、煉獄の舌で仇なすものを焼き尽くせ! フレイムタン!」  いつの間にか有希乃の上空にいた真鍋聡子がそう叫ぶより早く炎の渦がアスファルトから湧き上がり、瞬く間にゴブリンを煙に変えた。  聡子は少し茶色がかったボブヘアーをかきあげるようにして、どうよ、とばかりに白い歯を覗かせる。  聡子の2度目の実戦とは思えない八面六臂の活躍ぶりは、きっと父親である真鍋和馬が動きをうまくコントロールできている影響だろう。  真鍋はまだ34歳と言っていたが、もしかすると若さがなせる素早い機転も戦闘に役立っているのかもしれない。 「ありがと、聡子ちゃん!」  有希乃は満面の笑顔で、頭上の聡子に手を振っている。 (すまんな。助かったよ、真鍋くん)  わずかに残った頭髪をかきながらテレパシーを飛ばした長谷川を見つめる真鍋は、整った顔を聡子の背後から覗かせ、どこか納得していない様子で口を尖らせている。 (長谷川さん、ハンマーフォールってもっと威力あるはずっすよね? 何でパワーセーブしてんすか?)  忖度なく放たれたその言葉に、長谷川の顔がみるみる曇ってゆく。  実際のところ、私もそれが疑問だった。  この閉鎖空間で戦闘が始まってからというもの、長谷川が魔法の威力を意図的に抑えているせいで戦いが長引いてしまっている。  いくらこの空間の経過時間が現実世界の10分の1とはいえ、このまま戦闘が長引けばせっかく8時から予約を取った長谷川お気に入りのガールズバーに間に合わなくなってしまう。  査定を控えた大事な時期に上司に面と向かってゴマをすれるチャンスを無駄にしては、サラリーマンの名折れだ。  真鍋の言葉にしばらく口を閉ざしていた長谷川だったが、観念したようにじんわりとテレパシーを飛ばしはじめた。 (この街並みな、たまたまだろうが私が子供の頃に育った福島市と同じなんだよ。なんだか壊すのが忍びなくてなあ)  既にゴブリンを探しに飛び去っていった真鍋の、はあ? という呆れたようなテレパシーが頭にこだました。  真鍋くん、その気持ちは分かる、実によく分かる。  私もいま呆れ果てているが、それは口にできないのだ。  なぜならそこにいるハゲは私の直属の上司で、しかも夏のボーナスの査定が目前に迫っているんだ。  私は近くに敵がいないことを確認し、私の身体が見ている視界を共有した。  繁華街のコーヒーショップにいる私の目には、長谷川のハゲ頭越しにおしゃれな時計が7時50分を指しているのが映っている。  店までの移動時間を考慮して猶予はあと5分、この空間では50分弱だ。  私は思わず舌打ちをした。  ゴブリンが相手との危機管理庁からの連絡だったため、すぐに身体に戻れると高をくくってしまったのが誤算だった。  私たちの本体は魂が抜けた状態のために自律行動ができない。  おそらくこの戦闘が始まった7時半過ぎから、コーヒーショップの片隅で飲み物を定期的に口に運ぶという単純な動作を繰り返しているはずだ。  私は無駄に過ぎてゆく時間に苛立ちを覚えながら、少しでも早く戦闘を終わらせようと重力で引き寄せたゴブリンをまとめて狩ってゆく。  通りを隔てた公園では、相変わらず長谷川が景観に配慮しながら1匹ずつゆっくりと仕留めているのが見える。  思わず私は舌打ちをして、睨むようにしてから視線を逸らした。  それにしても今日は本当に妖魔の数が多い。  ゴブリンは単体では相手にもならない戦闘力だが、この調子ではとてもではないが駆除完了、閉鎖空間解除まで数時間はかかるだろう。  しかも今日は美園ちゃんのシフトが9時半で終わるため、長谷川がメロメロになるまでに必要な平均時間、1時間20分を捻出するためには絶対に遅刻は許されないときている。  私の中で長谷川の故郷に寄せる想いとガールズバー、そのふたつが天秤のように揺れている。  考えがまとまらない間もしつこく現れるゴブリンを親の仇のように駆逐しながら、結局のところ私は自分の利益を優先する決断を下した。 (あまりに数が多いので、これから私は娘にトランスして一気に片をつけます! 部長も真鍋くんも、できるだけ上空に避難してください!)  私のテレパシーにすぐさま真鍋からOKの返事が届いたが、長谷川は明らかに渋っているようだった。  私は苛立ちが表に出ないように気をつけながら長谷川に向けてテレパシーを飛ばす。 (ここは部長の育った頃の福島市近郊をひとコマだけ切り取った時空です! 本物の街並みじゃありません! 早く終わらせて美園ちゃんに会いに行きましょう!)  長谷川が、はっとした様子で私を見る。 (そうだった! 今日は美園ちゃんとお話しできるんだったな!)  それからすぐに、有希乃がワンピースを揺らして上空に向かうのが見えた。  それを見届けた私も空へ上り、ゆっくりと呼吸を整える。 「トランス!」  私の魂が完全に身体に入り込んだ瞬間に真夏の意識は途切れ、その身体は完全に私の支配下に置かれた。  私は持てる魔力を徐々に解放しながら、両掌に意識を集中させる。  やがてふたつの掌の間に黒い球状のものが現れ、それは脈打つようにして少しずつ大きくなってゆく。  これは重力の塊と呼べるものであり、ひとたび魔力を込めて放たれればその強烈な重力で広範囲を粉砕してしまう。  「オメガ・グラビティー!」  私が使える中でも最大級の重力魔法でとっとと街ごとゴブリン共を消し去り、本当の決戦の場であるガールズバーへ向かわねばならない。  あらかじめ部長お気に入りの美園ちゃんにはゴディバのチョコレートを渡して、胸元の開いた服を着て部長のことを褒めちぎってくれとお願いしてある。  そうだ、去年のボーナスもこうやって10万円近く金額を増やしたのだ。  大丈夫だ、今年も俺はやれる。  あのハゲ頭が真っ赤になるまで美園ちゃんとふたりで部長を褒め殺すのだ。  そして今度こそ嫁に、一眼レフの望遠レンズを買う許可をもらうのだ。  だから今日は、今日だけはどれだけ自分に嘘をついてでもあのハゲ部長を持ち上げなければいけない。  私は自分の魔力が飛躍的に上がっているのを感じていた。  私はゆっくりと両手を頭の上で広げ、半径1メートルほどになった漆黒の球を振り下ろす。  魔力の後押しを得て勢いよく放たれた重力の塊は、黒い軌跡を残しながら街の中心めがけて落下していった。  次の瞬間、どうん、という低い音とともに半径1キロほどの空間が歪み、まるで発泡スチロールのように容易く折れ曲がったビルや民家が中心に向かって鈍い音を立てながら雪崩れ落ちてゆく。  目を凝らすと、重力から逃れようとするゴブリンたちをあざ笑うかのように次々とその身体を瓦礫が押し潰してゆくのが見えた。  やがて周囲のあらゆるものを巻き込みながら中心まで落ち込んだ瓦礫は、甲高い音を立てながら徐々に圧縮され、小さな球になってゆく。  やがて数分前までそこがビルの立ち並ぶ街の中心だったとはとても思えない、魔力によって蹂躙された大地が形成されていった。  そんな地獄絵図が眼下で繰り広げられる様を、私たちは離れた上空から眺めていた。 「すごい……」  聡子が口を手で覆いながらそう呟く背中で、真鍋も呆気にとられたような表情のまま瓦礫が小さく収斂してゆく様を眺めている。  やがて瓦礫から立ち昇っていたいくつもの煙が晴れ、オメガ・グラビティーの魔力が消え失せるのと同時に静寂が訪れた。  眼前には半径数百メートルのクレーターが現れ、その中心にはあり得ないほどに小さくまとめられた瓦礫の塊が転がっていた。 (いやあ、すげえっすね、早瀬さん! こりゃどんな妖魔でもひとたまりもないっしょ! つーか、重力属性持ちなんて羨ましい限りっすよ!)  私がトランスを解いて真夏の身体から出ると、感心した様子の真鍋と目が合った。  嫁からも、当然のように娘の真夏からも褒められることなどない私は、その言葉に思わず照れ笑いを浮かべる。 (いやあ、そんなことないよ。このぐらいだったらいつで……)  そう言いかけた私に嫌な予感が走った。  私が反射的に長谷川を見ると、驚くほど深い皺が眉間に刻まれている。  自分ではなく部下の私が褒められているせいで、どこからどう見ても明らかに仏頂面だ。  これはまずい、実にまずい!  あれは家庭で嫌なことがあった次の日、はらいせに部下を怒鳴りつける直前の顔と同じだ!  絶対にここであのハゲの機嫌を損ねてはいけない! (真鍋くん、何を言ってるんだ。私なんかよりも部長の方が何倍もすごいんだぞ! 部長がトランスしたときのインフィニティー・ボルト、あれは本当に凄いですよね! ここぞというときに絶対的に頼りになる! そりゃあ器量よしで純情な娘さんも、部長のことが大好きなわけだ!)  私は、余計なことを言うなというメッセージを視線に込め、真鍋を睨んだ。  続いて恐る恐る長谷川に目をやると……その顔は満足そうに笑っていた。 (なんだよ早瀬、うちの娘のことをそんな風に思ってたのかあ?)  鼻の下を伸ばしながら長谷川が私を見ている。 (そりゃ可愛くて穢れのない自慢の娘だからな。そんじょそこらのバカ女とは違うよ)  私は誰にも見られないように、小さくガッツポーズを決めた。  娘を持ち上げられれば上機嫌、会社でも戦場でも実に見事な単純さである。  そこを突くために、美園ちゃんにも娘さんの写真を見せて下さいと言えと伝えてあるのだ。  そんな裏のやり取りなどつゆとも知らない長谷川は、鼻を膨らませながら満足そうに腕を組んでいる。  私は自分に心の中で拍手を送りながら、ほっと胸を撫で下ろした。  さあ、準備は整った。  あとはガールズバーでトドメを刺すだけだ。
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