僕と握手 前篇

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 ヒーローショーが終わり、公演中とは打って変わって明るく照らされた会場には、目を輝かせながら大はしゃぎする子どもや、はたまた親の手を握って緊張の面持ちの子ども……そこに混じっていわゆるも、スタッフの指示に従って列を成している。  そんな客たちが見つめるステージの上で俺は、青色の伸縮性のあるウエットスーツ素材を全身に纏い、硬化プラスティックで作られたヒーローマスクにすっぽりと顔を覆われた『必殺忍者 シノブンジャー』の『シノブブルー』として、順番に目の前にやってくるファンたちと握手を交わす。  そう、俺は戦隊モノのキャストに抜擢された期待のイケメン新人俳優……と言いたいところだが、実はそうではない。特定の期間を除いて、こういったヒーローショーでは、TVでヒーローとして戦うイケメン俳優や専属のスーツアクターではなく、別の役者が演じるのだ。  ということで、俺は最後にTVに出演したのが何年前かすら思い出せない、いわゆる売れない役者である。ついでに言えば、もう40歳もとうに過ぎているおっさんだ。  大人の事情で仕方ないとしても、中身があの主人公たちだと信じて疑わない子どもたちに知られるわけにはいかない。俺がこのヒーロースーツを着ている間は、絶対に正体を明かしてはならないのだ。  さて、そんなことを脳内で淡々と説明している俺だが、実は今、大変動揺している。ヒーローショー終了後の恒例の握手撮影会(観覧チケットとは別途1000円+税)の列に、ある人物を見つけたからだ。  係員に促された「ある人物」が、友達らしき人と一緒に俺の目の前に歩み寄る。「ある人物」とは―――――妻が連れて出て行った当時5歳の娘……中学生になって思春期が始まり、月に一度の面会すら会ってくれなくなった花梨(かりん)である。  俺の前に立って恥ずかしそうにする花梨が、おずおずと、しかしキラキラと目を輝かせながら手を差し出す。もちろん、俺の顔はマスクで隠れているから、花梨は目の前にいるシノブブルーがまさか自分の父親だということは知る由もない。俺は必死に手の震えを抑えて、こちらもTV出演と同じく何年前かすら思い出せない程久々に、花梨の手を握った。    なぜ……なぜ娘が―――――ヒーローショーで僕と握手!? *** 「ごめん、もう善行(よしゆき)との未来が見えない」  美奈子(みなこ)がそう言って、4歳になったばかりの花梨を抱えてアパートのドアから出て行った日のことを、昨日のように鮮明に覚えている。でも、もうそれから既に10年が経とうとしていた。  売れない役者の俺が夢を諦めきれないまま定職にも就かず、美奈子の稼ぎに頼り切りだった上に、家事も育児も全部美奈子任せにしていたのが離婚の原因だ。   美奈子は俺と付き合い始めた当初から俺の役者として成功したいという夢を応援してくれて、稼ぎが不安定な俺との結婚を不安視する親の反対まで押し切って俺との結婚を選んでくれたのだが、仕事と育児の両立の日々に疲れ果てれば、さすがに愛想も尽き果てるというものである。  それでも、美奈子は俺にわずかな養育費しか請求せず、更に花梨との月一回の面会の許可まで出してくれた。俺は不甲斐ないことに離婚したことでやっと、美奈子の優しさに気づいた。そして、正直煩わしいとさえ思っていた花梨の泣き声や、おませなお喋りが全く聞こえなくなったアパートで、妻と娘と共に過ごした生活がどんなに幸せだったかを痛感したのだ。    それからは、月一回の父子面会が俺の生き甲斐になった。会う度に、花梨はどんどん美人になって、面会が終わって美奈子に花梨を引き渡す際にはいつも「やっぱりどっかの芸能事務所に入れないか?」と言っては「善行と同じ轍を踏ませる気!?」と怒られていた。  そうして少しでも成長を見守ってやれることに喜びを感じていたのだが、花梨が中学校に上がると、途端に面会の回数が減った。月一回が二ヶ月に一回になり、三ヶ月に一回になるまでに、そう時間はかからなかった。    それから更に月日が経ち、二週間前のことだ。  美奈子から俺のスマホに届いた「今月も面会はできません」という短い文字を溜め息交じりで読んだ俺は、意を決して通話ボタンを押した。何回もコール音が繰り返され、やっと諦めたかのように通話が繋がる。 「あ、もしもし、美奈子?」 「ねぇ、音声通話はやめてって前に言ったでしょ?」  怒り口調ではあるが、柔らかな声質は昔から変わらない。 「だってもう花梨とは四ヶ月も会ってないんだぞ?さすがにそれは約束が違うんじゃないか?」 「約束って……雀の涙ほどの養育費しか払ってない男のセリフかしら?」  そこを突かれると、とても痛い。 「う……!っていうかえーと、単純に花梨に会いたいんだよ。もうすぐ花梨の誕生日だろ?プレゼント何がいいかも聞きたいし……!」 「気持ちはわかるけど……あのね、私が面会をやめさせようとしてるわけじゃ無いんだからね?」 「え……どういうこと?」 「私の都合で断ってるって思われてるみたいだから言うけど、時間がないからパパとは会わないって言ってるのは花梨なのよ。」 「……へ?」 「そんな情けない声出さないでよ。」 「な、なんでそんな時間が無いんだよ?部活とか、習い事が忙しいのか?」 「そういうのは大丈夫なんだけど、もう花梨も中学二年生よ?親よりもお友達と遊ぶ方が楽しいお年頃でしょ。」 「友達?ま……ままままままままさか、か、彼……彼彼彼彼」 「ちょ、落ち着きなさいよ、彼氏じゃないから安心して!花梨が中学に入学して、最初に出来た友達で菜々(なな)ちゃんってお友達が居てね、とっても気が合うみたいなの。それで最近は週末もいつも菜々ちゃんと遊んでるのよ。」 「そうは言ったって、たまになんだから、父親を優先させてくれたっていいじゃないか……。」 「私もね、最初の頃はそう言ったわよ。でもあの子も、もう思春期でしょ?今はもう私の言うことを聞くことさえ珍しいんだから。」 「そんな……。」 「そういうことだから、じゃあもう切るわよ。」  言うが早いが一方的に通話が終了された画面を見て俺はまた溜息をつき、スマホをテーブルに置いた。その瞬間、着信音が鳴り響いた。  美奈子が掛けなおしてきたに違いないとスマホの画面を見ると「西崎」という文字が表示されている。こんな時に、快活な人間の声なんて正直聞きたくないのだが、役者の大先輩で、今は芸能事務所を運営にも携わる人物の着信を無視することは出来ない。どうせ後で掛け直すなら、今用件を済ませたほうが得策だろう。 「ご無沙汰です、ザキさん。」 「おー、善行生きてたか!お前はまたそんな不景気な声しやがって、普段からもっと腹の底から声を出さんか!」 「うっす…ザキさんは相変わらずですね……。」 「ところでな、先月お前に打診した仕事、覚えてるか?ほら、あの『シノブンジャー』とか言う……。」 「ああ、ヒーロー番組のショーの事ですね。」 「そうそう、それだ。せっかくお前に話を回してやったのに『週末両方潰れる仕事はちょっと……』とか生意気言って断りやがって!!全く、お前それでも役者か!」 「いや、ほんとすみませんって……で、それがどうしたんです?」  ザキさんはすぐに話が脱線するから、なるべく早く本題に戻すのがザキさんとの話を円滑に進める秘訣だ。 「お前に断られて、次に打診した若ぇもんに任せたんだが、そいつが、えす……えぬえす??とやらが燃えたとかなんかで、よう分らんが使えなくなりおった。」  恐らく、SNSでの不用意な発言が原因のいわゆるで、事務所を解雇されたのだろうが、そういった最近の情報にはとことん疎いザキさんは本当に何かが燃えたとでも思っているに違いない。 「……で、また俺に話が戻って来たと。」 「そういう事だ。先方は一日でも早く穴を埋めたいと言うから、新しい候補を探す暇が無ぇんだ。とりあえず後任が決まるまでっつーことで、受けてくれねぇか?」 「でも、前も言いましたけど俺アクションそんなに得意じゃないですよ?」 「ああ、それなら安心せい。お前の役のシノブブルーっつーのは、忍者の末裔で気配を消すのが天才的に上手い……と言えば聞こえは良いが、実際は影が薄いという設定の役だから、他のメンバーのような激しいアクションシーンは無いそうだ。」 「なんですかそれ……。でもまぁ、そういうことならやりますよ。」 「おお、そうか、引き受けてくれるか!念の為聞くが、週末両方潰れるのは構わねぇんだな?」  週末が全部潰れる仕事を断っていたのは、もちろん花梨との面会の為だったから、今となっては花梨に会って貰えぬまま一人で過ごす週末のほうが辛い。加えて、後任が決まるまでと言うなら、大先輩の顔に泥を塗ってまで断る理由は無い。 「うっす。でも、後任もちゃんと探しといて下さいよ?」 「なるべく早くどうにかするから待っとけ。じゃぁ、先方からお前に連絡が来るだろうから、その指示に従ってくれ。」 *** 「……の、……あの!!」 「っ……!!」  パニックのあまり回想に浸り過ぎた俺(シノブブルー)の手を花梨が揺さぶってきたのでうっかり声を発してしまいそうになったが、これはショーの規約で禁止されているので必死で声を引っ込める。すると花梨もなぜか、少し小声で問いかけてきた。 「あの、シノブブルーのアクターさん、こちらのショーの出演は初めてですよね?」 「!?」 「今までのシノブブルーさんと、あの……何と言うか、体のラインが違ったもので……。」 「!?!?」 「ごめんなさぁい、この子、すごい尻フェチで、お尻を見ればスーツの中のアクターさんの違いにすぐ気づいちゃうんですぅ~。」 「ちょっと菜々、それ言わないでよー!」  ほうそうか、この子が菜々ちゃんか。っていうか待て。今何て言った?尻フェチ……? 「なに言ってんのよ、どうせすぐバレるんだからいいじゃん!早くいつもの頼んじゃいなよぉ~!」  見た目は大人しそうだけど、意外とテンションの高い菜々ちゃんに促されるがままに、花梨が恥ずかしそうに口を開いた。 「あの……もし良かったら、後ろからのアングルで写真撮らせて貰ってもいいですか?」  それは暗に、尻を撮らせろってことだよな?そう言えば、美奈子も俺の尻が「小さくて形が良くて、善行のお尻についつい見惚れちゃう。」なんて言ってたっけ……尻フェチは遺伝性があるのか……? いや、問題はそこではない、尻でスーツの中の人間を見分けられるなんて、花梨の尻フェチは恐らくガチのやつだ。うら若く可憐な乙女が、男性に尻を向けろだなんてそんなはしたない真似は断じて――――― 「シノブブルーさん、ダメ……ですかぁ?」  そう言って花梨はこちらにグッ詰め寄ってきた。眉毛をハの字に下げて、上目遣いで見上げてくる。それは、幼い頃の花梨がお菓子や玩具をねだるときにしていた表情そのものだった。俺の脳内には走馬灯のように花梨の成長が駆け巡る……。  俺はそっと後ろを向いて、気持ちばかり尻に角度を付けてポーズを取った。後ろでスマホを構えて写真を撮る花梨の声は(きっと下からのアングルが好きなんだろう)少ししゃがんだ位置から聞こえた。     ー前篇・完ー
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