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何とか山中奥深くの木々の中に逃れた木曽義仲だったが、軍勢はすでに五騎まで落ち込み消えかけの灯火、少し風が吹けば全滅というところにまできていた。怪力の巴御前が存命とはいえ、討死は目前だった。
この山中には、義仲の乳母子として幼い頃からともに育った巴の兄、今井四郎兼平が身を隠しているはずで、兼平と合流するために危険を顧みずわざわざやってきたのであった。
「討死するならば兼平が一緒でなくてはならぬ」
そう断固として考えを変えようとはしない義仲に巴も従う。
「兄上が聞いたら泣いて喜びましょう。しかし、諦らめまするな。義仲様ともあろうお方、誰と死ぬかではなく、いかなる強い武将と闘い命を落とすかにございます。下らない者に討たれるようなことを決して兄も望みませぬ」
「さようであるな。存じておる。だがわしは兼平とともに死にたいのじゃ」
「承知つかまつりました。必ずや、私めが兄の元までお連れいたしましょう」
巴は雪より白い肌、絹のような漆黒の髪が艶やかでたいそう美しい顔立ちをしていたが、兄たちに負けないくらい、いやそれ以上に体が大きく逞しかった。袖から見える手のひらが大地を包むように広く、指一本一本が芸術品のように整った形を成して伸びている。
「巴よ、兼平と合流できたならそなたは去るがよい。おなごは不要じゃ。最期の闘いで女を連れていたとあっては外聞が悪すぎる。兜と鎧を脱ぎ刀を捨てて去れ。女ならばいくらでも逃げおうすことができようぞ」
「ほほほ、ひどいことをおっしゃいますな。その女に幼き頃から守られていたのはどこのどなた様にございましょうか」
「たわけ、わかっておるわ」
巴には、義仲が目を細めて笑っているように見えた。それだけで十分役割を果たしたといえる。疲労し判断力を失った主君をいかに奮い立たせ喜ばせ、活力を取り戻させるかが家臣の務めであり本望。
無事に兼平と合流し、散り散りになった味方衆を集めて何とか三百騎ほどにまでなったが、敵は六千騎に上った。
「はあ……鎧と兜が重い。馬もなかなか前に進んではくれぬ」
赤地に錦の色を神々しく輝かせていた義仲の直垂は、血で黒く濁り、嵐の夜に吹き荒れる海のような深い黒色に染まっていた。何人もの敵を勇ましく刺し殺した勲章の証だった。
「何をおっしゃいますか。たくさんの敵をなぎ倒し、その血を浴びたせいで鎧が重くなっているだけにございまする。弱気なことを言いますな」
兼平もすでに疲れ果てていたが、背筋をピンと伸ばし、疲労感を微塵も感じさせない。義仲を真横から凛と見据えた。
「たわけが。弱気なわけはなかろう。むしろ敵に立ち向かいお前とともに討死したいのじゃ」
「それが弱気というものです。私がいるだけで千人力、巴一人いれば二千力。義仲様には三千もの兵がついているのと同じことなのです」
「はっはっは、それは頼もしいことよ」
義仲、兼平、巴は少ない数からは想像もできないほど善戦するが、三百騎あった味方はまたすぐに七騎にまで減る。その中には当然、兼平も巴も残っていたが二人とも虫の息だった。
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