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6 アヤノ
「アヤノ…
勉強ばかりしてないで、たまには小説でも息抜きに読んでみたら?
この小説、私達と同い年の人が書いたのよ。」
文芸部の同級生。
突然に声をかけられて戸惑うけど、
断りきれなくて借りた小説。
その物語は‥‥‥
出会いは突然に前触れもなくやって来る。
私のモノクロームな毎日をカラフルに輝かせる物語。
生まれて初めて面白いって思えた物語。
笑って泣いて、
でも心が暖かくなる物語。
毎日読んでた。
いつの間にか、全文を暗記してしまうほど。
文章表現はとても簡単。
難しい漢字も使わない。
一人称で進められる物語はとても面白い。
心が感じられる。
文字列から書いた人の心の清らかさ、優しさが感じられた。
同じ小説を5冊買った。
一冊だと失くしたりしたら立ち直れない。
5冊あればずっと読んでいられると…
著者近影を毎日みる。
ジーンズにパーカー。
視線はこっちを見てなくて、
下に向けて、
どこを見て何を考えてるんだろう?
って想像する。
整った顔…
胸がドキドキする。
なんだろう?
この気持ちは。
感じたことない胸の痛み。
なんだろう?
この気持ち。
その気持ちが恋だと気がついたのは、
ずっと後だった。
自衛隊の制服組の父はとても厳しかった。
幼い頃から、
勉強、武道の毎日。
一人娘の私を男として育てたかったみたいだ。
父の希望で、将来は自衛隊の士官になるための毎日を過ごしていた。
昔からまわりの人は私を堅物って評価する。
面白いことの一つも言えない。
あの小説に出会う前には、そんなこと気にもしなかった。
父のロボットのような存在だった。
一つの物語が人の未来を変えてしまう。
私を変えた。
『国に奉仕するのが日本国民の努めである。』
父の教えは時代錯誤だということを知った。
人は自分のために、
愛する者のために生きるものだと…
身近にいる人が幸せじゃなければ、国の幸せなんてない。
人がいるから国があるんだ。
あの物語は教えてくれた。
小説家の名前はトモヤ。
私の元夫。
心の中でいつも言葉にして言う。
トモヤ…
トモヤ…
今でも心が叫んでいる。
トモヤ、愛してるって。
トモヤに高校時代に会ったこと…
違う、助けてもらったことがある。
毎日に疲れ果てて、
歩道橋の上、
学校の帰り。
暮れてゆく空を眺めていた。
私の帰るところに安息はない。
家に帰りたくない。
空は赤から紫ががって…もうすぐ黒の夜が来る。
「帰らないと…ね」
言葉にして、帰ろうと。
歩道橋の下りの階段を降り始めた時、小石に足を取られた、
よろけて…
階段を転げ落ち…る…
あー、
私、これで楽になれるのかな…
なんて思った時、
前から男の人が階段を飛ばして、
強めに抱きしめられた。
「危ないよ。
大丈夫?
めまいかな?」
手を引かれて、階段を降りた。
街灯が男の人を照らす。
声にならない。
トモヤだ。
絶対に間違いない。
「どうしたの?
ほんと大丈夫?」
トモヤはキョロキョロ見渡して、
カフェの前にあるベンチまで私を連れて行ってくれた。
また手をつないで。
カフェの店員にことわって、私を座らせる。
「ココアを頼んでおいたよ。
飲んでゆっくりしたら…
帰りなよ。
うーん…
でも、心配だな。
おれもちょっとここにいていいかな?
おれはトモヤ。
君は?」
うつむくしかない。
トモヤが隣にいる。
写真でしか見たことないトモヤが。
小さな声で…
「アヤノ」
「アヤノさんね。
よかったよ。
怪我しないで。
美人さんだから、
顔傷つけたら大変だもんね。
あっ…
見て。
何?
あのラーメン屋の看板…
マズいが逆さになってる。
つまりはウマいってこと?
ははははは。
変なの。」
トモヤは子供みたいに笑う。
私もつられて笑う。
トモヤの見てる世界は楽しいことであふれてる。
同じ世界にいるのに、私には見えないものが見えてる。
心に電気が走る。
青白い炎を帯びて。
好き。
トモヤが好き。
小説を書いてるトモヤじゃなくて、
今ここにいるトモヤが好き。
私にも人を好きになれる感情があったことに驚く。
「あっ、アヤノさん笑った。
もう、大丈夫そうだね。
おれは帰りの電車に間に合わないと、姉にバチコンされるから、
行くよ。
じゃ…」
トモヤが行っちゃう…
何か、
何かないの私…
何も言えないの?
「ありがとう。」
そんなことしか言えない自分に腹がたつ。
見下ろすトモヤの顔は笑顔で…
「ココアのお金払っといたから…心配しないでね。」
走り去る、遠くなる背中…
動けない私。
追いかけたいけど、
私にはできない。
トモヤ…
また会いたいな。
しばらく同じ時間帯に街をさまよって、トモヤを探したけど、
もう会うことも見かけることもなかった。
後で知ったことだけど、
トモヤはたまたま資格試験で東京へ来ていただけだった。
まさか千葉の南端の方に住んでるとは思ってもなかった。
会えるわけない。
でも、
会えた偶然は偶然じゃない気がする。
私を変えた出会いだった。
再会した時のトモヤは、私のことをまるで覚えてなかった。
私はずっと忘れずに大切な思い出にしてたのに。
腹がたったから、今でも言わずにいる。
きっとたくさんの人を助けてきたんだろう…
記憶に残らない私。
トモヤは私の世界の全部なのに…
私のことなんて覚えてなくて仕方ないのかな…
私は自衛官になった。
トモヤのいる、この国を守こと、
父のロボットではなく、
自分でこの道を選んだ。
家に帰ると、父が…
「アヤノ、おかえり。
小説家のトモヤを知ってるか?
読んだことあるか?」
なぜ父がトモヤの話を?
「とても難しい問題が発生した。」
「トモヤがどうしたの?」
胸がドキドキする。
嫌な予感の。
「ホニャララ帝国って知ってるか?」
私は父のコネと、自分のキャリアを使って、
創立間もない『トモヤ対策室』のメンバーになった。
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