回顧録40、回復を拒絶する男

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回顧録40、回復を拒絶する男

 僕が取材中に遭遇した事件のせいもあって、ベジタリアンの企画が書籍にまとまるのは、当初の予定よりも半年遅れとなってしまった。無理すれば予定通り出版できないことはなかったけど、名和食品の名和社長からも、新島教授からも、ゆっくり休むようにとの言葉をもらった。  本当は、言葉ではゆっくり過ごすようにと言っても、スポンサーである名和社長の本心としては、やはり、多少無理をしてでも急いでほしいはずだ。でも、かつて、なんでも言葉をそのままの意味で受け取る男がいたように、僕も、言葉通りに受け取って、ゆっくりと休ませてもらうことにした。そのおかげで、言葉の裏の意味を読んだりせず、つまり「他人に気を使いすぎずに生きる自由」というものもあることにも気が付いた。そういう意味であの男は、ストロングであって自由だったのだろう。  僕の帰国から半年が経過した時点で、僕にわかることは、あの男も僕が入院させられたのと同じ病院のどこかの病室で意識を取り戻したこと、その後、病院が彼のためにヴィーガンに配慮した食事と投薬方法を準備しなかったことと、そして、その悲しい結末についてだ。  当然というべきか、不幸にもというべきか、かろうじて意識を取り戻したあの男は、強い意志を示して、ほとんどの食事とカプセルの薬剤を拒絶したため、結果的に体調の回復も拒否したことになる。  不幸だったのは、ヴィーガンの食生活に詳しくなかった彼の家族も、男のための代替となる療養食や投薬法を病院側に提案できなかったことだ。病院側にしても、ヴィーガンの目には、薬剤のカプセルがビーフやポークに見えているなんて、思いもよらなかったのだろう。栄養失調による衰弱も、抗生剤の拒否による傷口からの雑菌の感染も、男の直接的な死因ではなかったらしいけど、大きな怪我に伴う、様々な合併症を併発する遠因となったのは間違いない。  あの病院で、食のマイノリティーに配慮した食事の提供や植物性カプセルを利用した投薬が行われていれば、こんな人ひとりの命に係わる問題は起きなかったはずだ。あるいは、マルチャン本人に、もしくは、家族の誰かに正しい栄養学の知識やHPMCなどの植物性のカプセル代替素材に関する知識があれば、マルチャンの命は助かったのかもしれない。新島教授は、いつまでもそのことを悔やんでいるみたいだ。
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