あるスタッフによる編集後記(編集サポート担当者)

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あるスタッフによる編集後記(編集サポート担当者)

 これまでに何度か、葉脈舎が発行する「りーふ」誌上でも書きましたが、以前の一人暮らしの頃と違って、新たに家族ができると、食の大切さがこれまでにも増して切実に感じられるようになりました。さて、編集後記として、この本にかかわった人物の近況や最近気付いたことについて何点か書き残しておきます。  ベジタリアンのために書かれた本書の企画の段階では参加していたのに、病気の療養のために祖国インドに帰国されたベジタリアンの大先輩であるディパンカール博士から手紙を受け取りました。この本が出る直前のことです。日本にいながら出身地の風土病に良く似た症状の病気を発症したディパンカール博士は、インドに帰国後、専門の病院で診察と治療を受けられたそうです。帰国当時に心配された脳にも特に目立った障害もなく、お医者様の診断は「過労」だったとの事でした。既に、博士は、十分な休養を取って、完全に回復しているとの事です。  博士の日本滞在当時、同じ研究室で学んだ旧ラボメンバーのみんなは、あんなにゆっくりと自分のペースで仕事をしていた博士が、最も似合わない「過労」という単語を使ったことに大きな衝撃を受けています。また、博士の置き土産である「偽・風土病」の杞憂から研究室関係者全員が開放された、大きすぎる喜びから、うまく感情を表現できずに、ただただ打ち震えているとのことです。  これはディパンカール博士から届いた良いニュースでした。一方、ディパンカール博士の親族が始めた食肉産業の廃棄物を利用したファミリービジネスは、すぐに行き詰ってしまい、ディパンカール博士が、新たに「安全な植物材料を使ったビジネス」というものをはじめたとの事です。博士の新しい挑戦に関する続報は、折を見て、葉脈舎の「りーふ」誌上でお伝えできればと思います。私達は、遠くから祈りと声援を送りたいと思いますが、直接現地に駆けつけてまでは応援しないことにします。  最近、新島教授との会話でも話題に出たのですが、いつも心のどこかで気にかかることがあります。この企画の発案者で、不幸にもヴィーガンとしての暴力的なプロテスト中に倒れ、病院での回復を拒否して命を落とした「オレンジ」と呼ばれたフランス人についてです。彼は、何らかの情報の「誤読」から暴力的なヴィーガンとして破滅への道を歩いていながらも、心のどこかでは、そういう人生から逃げ出したかったのかもしれないと思えてきました。今となってみれば、無口か早口のどちらかの状態しか取れず、コミュニケーションがあまり得意でなかった彼は、人生の方向を変える何らかのきっかけになればと願いながら、不器用にも、新島教授の研究室と葉脈舎にコンタクトを取り続けていたように思えるのです。
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