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「お母さんを引き取ろうと思うの」
晩御飯の片付けを終えると、私はリビングでトドの様に転がる夫の久雄にそう声をかけた。
埼玉で一人暮らしをしている母は今年で79歳になる。まだ体の方はピンピンしている様だが、最近はスーパーに買った物を忘れてきてしまったり、お鍋を焦がす様になったと聞いて少し心配になってきたのだ。この春から次女の朋花も一人暮らしを始める予定で部屋も空く事だし、母に切り出すのも丁度良いと思ったのだ。
「ふーん。良いんじゃない?」
夫はテレビから目を離さずにそう言った。
言うと思った……。
私は小さくため息をついた。
夫は良く言えば楽天家だが、物事を深く考えるという事ができない。今まで散々このいい加減さに振り回されてきたのだけれど、今回の件に関しては夫の能天気さは好都合というものだ。後から何か言われても「良い」って言った、と押し通せる。
まあ実際のところ、夫のご両親はお義兄さんと同居しているし、夫と母の仲も悪く無いので問題は無さそうだった。逆に問題があるとすれば私の方なのかもしれない……。
ごねると思っていた母は案外簡単に同居を承諾し、とんとん拍子に引越しが決まった。
「あら、あの柿の木切っちゃったの? 秋になったら食べるのを楽しみにしていたのに……」
母は狭い庭先にある真新しい切り株を見つけて残念そうに言った。
柿の木は先週、夫の知り合いにチェーンソーで伐採して貰ったのだ。そんな物を個人が所有している事に驚いたが、その人は手際良くゴミ収集に出せる大きさまで切断までしていってくれた。
私は植物が嫌いだ。というか、大嫌いだ。まずは植物というと虫を想像するからだ。そしてその生命力にも嫌悪感を抱かされる……。
二十年程前、夫が今の家を中古で購入したいと言い出した時、私は猛反対した。私には植物の生えている庭なんて必要無かったし、夫の給料では新宿から電車で一時間、駅から歩いて十五分にある田舎の中古物件位しか手が届かなかったのだ。そもそも子供の成長等によってライフスタイルは変化していく。それなのに購入してしまえば、そうそう住み替えなんてできなくなってしまうし、固定資産税やら修繕費やらで結構出費はかさむ。
それでも週末に庭仕事を楽しみたかった夫は食い下がり「郊外の方が子供を育てるには環境が良い」と言われてしまえば私は折れるしかなかった。
その代わり、手入れは夫が責任もってやる事を固く約束させたのだけれど、いい加減な夫は案の定、落ちた枯葉の掃除なんてしなかったし、こちらから言わなければ草むしりもしなかった。
特に通りに枝を大きく張り出した柿の木は、秋になるとカサカサとした大きな葉が風で近所の庭先まで飛ばされていき、取り残されて熟した柿の実がアスファルトに落ちて醜い跡を作った。
今までは仕方く私が片付けをしてきたけれど、とうとう私も堪忍袋の緒が切れて、今年に入り伐採を命じたのだった。
「前にも言ったけれど、この家は私の家だから、住むからにはこの家のルールに従って貰うからね」
のんびりと庭を眺めている母に向かって私は念を押す様にそう言った。
「ハイハイわかってますよ。この子は気難しいくて嫌よねぇ」
そう言って母はほころび始めたチューリップを嬉しそうに眺めていた。
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