第1章

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 デスクの上の置き時計は17:30を指している。今日は何回もこの時計を見て過ごしてた。いつもより時間の経過が長く感じた気がする。仕事では集中が散漫になってミントのガムを味が無くなっても暫く噛んでいた。  ブリーフバックを手にぶら提げながら一緒に背負ってきたリュックを持って男子更衣室に入った。いつもは持ってこないこのリュックのファスナーを開けて、中に入ってる私服を取り出す。勝負服とはいえない普段着だけど、下手にカッコつけた服で決めるよりも、こっちの方がリラックスできる。  背格好が似てる晃に『俺の服貸そうか』って、僕がこういう時用の服持ってないって決めつけた感じで言われたけど、あいつが出掛ける時に来てくる服は、指名No.1ホストが休日パチンコに行く時着てるみたいな服ばっかりだったから断った。姿見鏡に映る自分を見ながら汗でペタンとなってる前髪を手櫛で上げて直す。  はい。ありのままの僕で行きましょう。  あの子に会えるかは確かじゃないけど、あの子に会えるきっかけが出来るかもしれない希望があれば胸が高鳴る。  出来れば敦啓君の隣の席に座りたいと思いながらポケットに入れてあった例のメモを私服の方のズボンに入れ替えてYシャツを脱いだ。 「おつかれ」  背中を軽く叩かれて振り向くと、更衣室に入ってきた理人さんが居た。そのままネクタイをシュッと外し素早く着替える姿がワイルドで男らしい。この人はタンクトップにジャケット羽織った感じでいくかと思ってたけど、僕の着てるタートルネックにロングベストの格好よりもっとシンプルな白のトレーニングウェアに黒のニット帽といったスポーティースタイルだった。何か急いでる感じだったから聞いてみれば、女組の幹事と話があるから、と言っていた。女組の幹事は敦啓君を叱ってたあの怖そうな人。時間に厳しい人だったから理人さん叱られたくなくて焦ってるのか、って思ったけど、意外にも嬉しそうな感じだった。 「無理しなくていいからな。俺が隣に座ってやるから」  お心遣いは有難かったけれど、僕は敦啓君の隣が良かった。ここは今日一番押さえておかなければならない重要ポイントだったから、ちゃんと言っておこうと傷つけない断り方を何通りか頭の中に巡らせてるうちに、既にドアを開けて出て行ってしまってた。  いつもそう。  僕は人に好かれたいって事よりも、人に嫌われたくないって方のマイナスの気持ちが大き過ぎて結局思った事を相手に伝える事ができない。理人さんや晃に『ほんと優しいやつ』って言われてるけど優しいんじゃなくてただ臆病なだけ。  今日のこの機会に、ちょっとでも変われたらと思う。そうなれる様に理人さんに甘え過ぎてはいけない。  何としてでも敦啓君の隣の席をゲットしなければ。  何だか恋人を作るためのコンパのはずが変な遠回しに敦啓君一直線に目がけてる感じになってるけど、あのバナナしかイメージの湧かない人と最短距離でどうやって仲良くなればいいかも問題だ。        ◆  コンパの始まる時間まで結構余裕あるから、休憩所ではちみつレモン飲んでから行こうかな。  下にはもう誰も居ないだろうし、ちょっと予習してから―――― “女性を惹き付ける魔法の話術”  リュックの底から出した昨夜本屋さんで手に入れた秘密兵器を手に1階へ降りた。
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