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食堂でひとり食事をとっていると様々な声が聞こえてきた。斜め後ろに座った男子学生があの子と一発キメて来るだの、1つ席を空けた左隣の女子学生が今日は彼氏の誕生日で10万以上は余裕で使うだの、加工した写真に沢山の「いいね」がついて嬉しいだの....周囲を飛び交う雑音には、自分の興味をそそるものがひとつもなかった。
そんな自分が強く興味を持ったのは孤独だった。僕は本当の孤独を知らない。
ひとりぼっちだと思いながらも、こうして社会の中で黙々と食事をしている。
そんな時有名な芸術大学の教授が、なにやら本当の孤独を味わうことが出来るための仕組みを作ったそうだ。
芸術には興味がなかったが、今度表参道で個展が開かれるらしい。
個展名は「The」。いかにも芸大らしい抽象的なネーミングである。
この個展を知ったのは、その芸大に通っている友人から伝わってきたものだった。
抽選でしか個展には入れず、自分もどうしてもその個展に行きたいから応募してほしいとのことだった。
受け取った用紙にはグループ参加・個人参加を選ぶ欄と、その応募理由。
なにに使うのかわからないが、自分の服のサイズを記入する欄もある。
グループ参加の場合はどの程度の親密さかを書かなければいけないようだった。
友人は個人で参加したいというので、僕自身も友人に倣って個人参加で応募をした。
締め切り後、友人が教授にどれくらいの応募があったかを尋ねてみたという。
今回初の試みにもかかわらず、応募者数は3桁を軽く超えたらしい。
どうせ駄目だろうと漠然と考えていたころ結果が届いた。そのメールには「おめでとうございます。あなたは本当の孤独に選ばれました。」と書いてある。
当選したのだ。
注意書きには、孤独を味わうために重要な事項が書いてあった。
【声を出すこと】
【人を感じること】
【外部との接続機器は持たないこと】
この3つだけだった。あとは指定された日時に会場に向かえばいい。
個展に行きたがっていた友人に当選を告げると行きたがってはいたものの、その日は抜けられない用事があるらしく僕に行けと促した。自分が行けると決まってからは個展までの毎日を楽しく感じた。
いよいよ当日になると、言い得ない緊張感があった。会場は貸出店舗の中に真っ白な大きなパネルで箱が作られていた。
「皆さんはこの中に入って頂きます。まずは挨拶を済ませてください。」
僕は個人応募しているため、グループの1人1人と挨拶を交わす。総勢6名の仲良し集団である。それを終えると教授は全員に向かって個展の内容を説明し始めた。
「この中で皆さんには半日過ごして頂きます。本当の孤独を味わうのは、個人で応募してくれた君。じゃあ荷物を全て預けて、先にその青いドアから中に入って。中に入ったら僕は鍵を閉めるから、もし無理だと思ったら構わず言ってくれ。他の皆さんは彼が中に入ったあと説明します。」
教授に言われるまま、僕は箱の中へと入っていった。そこは4畳くらいの狭いスペースで上も下も真っ白だ。
「後ろを向いているから、このシャツに着替えて下さい。ズボンもです。」
そう言って渡されたのは真っ黒なセーターと、真っ黒なスキニーパンツだった。
応募に服のサイズが書いてあったのはこのためだと理解した。
着替え終わると、中の説明をしてもらう。
「君の声は4面に隠してあるマイクから、外に聞こえるようになっている。また、天井を見てくれ。」
見上げた天井には、白く塗りつぶされているがスピーカーが付いている。
「このスピーカーからはさっき挨拶をした6人の声がそれぞれ聞こえて来る。嫌だったら耳を塞いで、その時思ったことを言ってくれればいい。暴言であろうと構わないよ。心のままに言ってくれ。あとは12時間ここで過ごしてくれ。トイレとかはないが、どうしても我慢ができない場合はこれに。」
渡されたのは簡易トイレだった。
「君が本当の孤独を味わえると期待している。では、12時間後」
言い終わると教授は出て行ってしまった。部屋が真っ白で、気がおかしくなりそうだ。
部屋の作りをじっくりと眺めると、壁の一部が少しだけ変色しているのを見つけた。
白く光りに反射して外の様子は見えないが、そこだけは他の壁と違いガラスがはめ込まれているようだ。全部で6箇所...人数分の覗き穴だろうか。
部屋の壁は厚く、中に防音材が仕込まれているようだ。壁自体に僕の声は反響するが、扉を閉めたあとは外部の一切の音も聞こえない。
少しすると、他の6人も中に入ってきたようでスピーカーから声が聞こえてきた。
「大丈夫?」
挨拶をしたうちの女子1人が、僕のことを心配する。
「大丈夫だよ、ありがとう。」
そう返すもスピーカーからは返答がなかった。ここで12時間、僕は孤独を味わうのだ。
次にスピーカーから聞こえてきたのは、6人が談笑する声だった。
いつもと同じ僕には関係ない世界の話。
たまに誰かが僕のことを覗いて「退屈そうだね」と気にかける様子を見せたが、他は相槌をうつだけで、ゲームの話に夢中になっているようだった。
「僕もそのゲーム好きだよ。」
唐突に寂しくなって声を出すも、外からの返事はなかった。僕の声はマイクを通じて外に聞こえると言っていた。
彼らは僕を無視しているのか、それとも教授が嘘をついているのか。
だんだん気分が悪くなってくる。ぞわぞわとした言い得ない大きな不安が押し寄せてくる。
時間の分かるものは用意されていなかったため、どれほどの時間を我慢していたかはわからないが恐らく数十分の出来事であった。
「聞けよ!!!」
誰かに認知して欲しい。
自分はここにいると大声で主張するも、誰もその声に耳を貸すものはいなかった。
何度も何度も怒鳴り続けた。
そうするうち、覗いてるうちの一人が「今なんか喋ったっぽくない?」というたった一言で、今まさに自分を飲み込もうとしていた不安は掻き消されていった。
しかし6人の話題が別のものに移り変わり、その内容が自分も混ざれそうな会話だったときに再度降りかかる不安は、いつしか怒りに姿を変えた。
何故こうも無視をするのか。
教授が無視をするように促しているのか。
だんだんと立っているのが辛くなり、角に嵌るようにして身体を丸めた。
スピーカーからは、相も変わらず楽しそうな声が聞こえている。
会話の内容がどうでも良くなってくると、今度は睡魔に襲われた。
眠ってしまおう、どうせ誰も見ていな「おい、あいつ大丈夫かよ」「ほんとだ、具合悪そう。大丈夫?」
「大丈夫!ちょっと眠くなっただけ!」
僕の声は明るかった。しかし顔を上げて話出そうとした瞬間、また6人の会話は知らないものへと戻っていった。
しばらくすると変化があった。
6人分の声のうち、3人の声しか聞こえなくなったのだ。最初のうちは1人が減ったという事に気がつかなかったが、段々と人数が減っていき確信に変わった。
3人はいずれも女性で、いなくなった残りのメンバーは男子が2人、女子が1人だった。
僕は女子だけの会話を聞くのは初めてだ。
「ってか、いつも思うけどアイツしつこいんだよね。」
「分かる。空気読めって感じ。」
「この間一緒に飯行ったら結局男の話ばっかでさ。」
居なくなった女子のことを指しているのだろう。今までの僕にとってどうでも良い会話から一変し、今度は僕が覗く側に変わる。
「自撮り上げて『ブスすぎてツライ(泣)』とか馬鹿じゃねーの。ブスなのわかってて上げてんじゃねーよ。」
「それ。『そんな事ないよー』って言われたいんでしょ。キモい。」
女の会話は思っていたよりも陰湿で、どす黒い。
ついさっきまで誰かに気がついて欲しいと切望していたのに、今では息を殺して会話を聞いている。
「シャネルとかコーチとか買い漁ってるけどさー。ぶっちゃけセンスないからマジでダサい。」
「めっちゃ蛍光ピンクのカバンに蛍光グリーンのレインコートとか文房具かよってツッコミたかった。」
「ウケる。ってかあのレインコートもどっかのブランドでしょ?そこに金かけるなら整形した方がよくね。」
今まで学食で聞いていた会話は、彼女たちの会話の一部でしかないという事に改めて気がついた。
そのうち女子は2人になり、残ったお互いは気まずそうにぽつりぽつりと話すばかりになった。
居なくなった女子がこのグループを実質仕切っているのだろう。2人はお互いの顔色を探るかのように趣味の話をし始めた。
最近のドラマの話、俳優の話...6人で話していたときは矢継ぎ早に話題が切り替わり、それぞれが自分たちの役割を理解して会話を回しているようだったが、今は絆を深めているようだった。
僕はこの箱の中で、社会を俯瞰している気になり自分が神にでもなったような錯覚すら起こした。
自分が一人無視をされている事実を知らないふりをして、僕は彼女たちの会話に相槌を打った。
やがて誰の声も聞こえなくなり、スピーカーからの電子音もなくなると、僕はいよいよ孤独だった。
あと何時間ここにいなくてはいけないんだろう。実はまだ6人全員が僕を見ているんじゃないか。見ていてほしい。
「だれか、いる?」
自分の声が響くばかりで誰からも返事はなかった。
誰も居ないと思うと、途端に大きな不安の波が押し寄せてくる。床に寝そべり膝を抱えた。
耳の奥でぼわぼわとした静寂の音がする。自分の心臓の音がやけに大きく聞こえ、耳を塞ぐ。
関節の軋む小さな音、砂嵐のような血潮の巡る音、それらが自分から発せられるものだと知ると落ち着いた。
そのうち電気を消された。
僕は真っ暗な闇の中、自分の形すらも認識できなくなってしまった。
臨床心理で、五感を全て奪い孤独を味わう実験があると聞いた。この展示はそれに似ている。
唯一の救いは、手足が自由だという事と自分の音が聞こえる事だろう。
心臓の脈打つ音を数えるたび、僕はさっきまでの6人の会話を、存在を忘れていく。
そうして段々と暗闇に溶けて、ふわふわと実態なく漂う概念になった気がした。
「だれか」
声を出しても、自分に突き刺さるばかりで気が狂いそうになる。
「だれか!!!だれか!!!!」
怒っているわけではなかった。自分の声の音量が分からなくなったのだ。
「......。」
いよいよこのまま溶けて消えると思ったとき、電気がついて扉が開いた。僕は開いた扉の外から聞こえる雑音に安堵し、子供のように声を上げて泣いた。
教授が渡してくれたハンカチは、石鹸の匂いがして更に涙腺を刺激した。
「君は5時間、よく耐えきったね。」
「5時間?」
「そうとも、まだ5時間しか経っていないよ。君が孤独を感じるのに充分な時間だった。」
これがあと7時間も続くと考えると、背筋に鳥肌が立つ。
「でも僕、1人じゃありませんでした。皆さんがいたから...」
「ああ、あれはね、音声データだよ。」
「音声.....?」
「君に挨拶をした彼らの会話を、あらかじめ録音しておいたんだ。君を覗いている前提でね。」
「それじゃ、僕は...」
「君はずっと1人だったんだよ。」
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