おいしい関係

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 カナエは、ホームの下に住んでいた。    そんなところに住んでいる理由には、彼女の食生活が大きく関係していた。    人を食べるという食生活だ。    彼女はいわゆる食人鬼で、人を食べて暮らしていた。    そのため、多くの人間が上から降ってくるホーム下に住むことは、彼女にとって最良の選択だったのである。    自殺者を食べるという行為に、どこか罪悪感を彼女は抱いていたが、死体処理をしたことによって駅員の役に立っているため、その罪悪感は多少は和らいでいた。    彼女の脳内では早く人間が降ってこないかなぁ、そんな考えが反響している。    その考えを即座に脳内から消去し、そしてまた浮かんで、を繰り返している。    その連環の中で、時折彼女は自分の置かれている状況を考える。    この世界には人間が多いので仕方がないが、こんなホームの下に追いやられて過ごすというのは、とても不快感があるものだ。    その原因が自身の食欲にあるということも彼女の頭を悩ませていた。自身の生命維持活動は他者の命を脅かすものである。    しかし、それは人間も同じだ。    というより、生物とは皆そうだ。    対象が人間であるというだけで、なぜこんなにも苦しまなければならないのだろうか。    好き勝手に食べたい。そんな考えが彼女の頭を次第に支配し始めた。    その時、電車と人間の体がぶつかり合う、鈍い轟音が眼前で響いた。     その音は、次第に右へ流れていく。     やっと来た。と彼女は思った。  すぐさま回収に向かう。なるべく人に見つからないように。    線路の上で、バラバラになった男の死体。電車の影に隠れながら、腕や足をしっかりと回収し、その場を去る。    ホーム下の本拠地に戻り、食事を始めようとしたその時、    死体の手足が、胴体に引き寄せられるように動き始めた。    まるで、その一つ一つが生きているようだ。    彼女は驚きのあまり声をあげる。    しかし、ホーム上の野次馬や駅員の声でそれはかき消されている。    よく見ると、潰れてたはずの顔面も徐々に修復されていく。    そして、死体は衝突前とおぼしき姿となる。   「あー、やっぱり死ねなかったか」    先程まで死体だったはずの男は、残念そうにため息を漏らす。    カナエはその様子を呆然としながら見つめていた。    生きてる。でも、生きててよかったとは思えない。出来立ての鍋をひっくり返したような気分だ。    すごくもどかしい。食べてしまえばよかった。彼女はそう考えた。    彼女の脳内では生きたまま食べるという選択肢がよぎる。    しかし、彼女が人を食べるのは、そういう生き物だからという理由なだけで、何も残虐なことを進んで、好んで行いたいという訳ではない。    いくら食欲が限界だからといって、生きた人間をそのまま食い散らかしたいとは思えないのである。    できれば、穏便に食事がしたい。    様々な考えが脳内を駆け巡る中、     カナエは男に話しかけられた。   「こんなところで何してるの?」    捕食しようとした相手から話しかけられる経験は彼女にとって初めてだった。    これまで補食対象は既に息を引き取っていたため、対話することなどありえなかった。元捕食対象という奇妙な存在が眼前にいるということ自体、受け入れがたい、というよりも初めての体験なのでどのように話せばいいのか、彼女は分からなかった。    さらに、厄介なのは、答えにくい質問をされているということだ。    私は人を食べるからここにいて食料が来るのを待ってるの、というのが事実であるが、それを言ってしまうと、相手にとって恐怖感を与えてしまうかもしれない。    だからと言ってホームレスなの、と嘘をつくのも何だか気が引ける。    なぜなら、バラバラ死体になってから元の形に戻るまでの間に、男の中で思考が継続されていたのかどうかが不明瞭だからだ。    もし思考が再生中も続いていたのだとしたら、カマをかけられていることになるし、それにまんまと引っかかるのも、癪に思う。    考えた末、彼女は腹を括り男に返答する。   「私は食人鬼で、貴方を食べようとしてたんです」    正直に答えた。    脅威の再生能力を持つという、明らかに人間とは異なる性質を男は持ち合わせているため、自身の異質性を開示しても構わない、と考えた上での返答だ。    人を食べるということに引かれたとしても、こちら側も男の能力に少しは引いているので、釣り合いがとれていると考えた。   「そうなんだ。でも結局僕のことは食べてないね。そのまま食べれば良かったのに。どこか優しさが宿っているんだね」   「優しさかどうかは分からないですけど、というより貴方はどうして電車に轢かれたんですか?」   「いやー、死ねるかと思ってさ。勇気出して飛び込んだんだけど無理だったね」   「死にたいんですか?」   「うーん、死にたいというよりも自分の力を試したかっただけかな」    試したかった?どうして公共の場でそんなことを試そうとするんだろうか。実際電車は止まっていて、多くの人に迷惑がかかっているのに、一切悪びれる様子ないし、この人。私とは違う感覚だな。自分を特別だと思い込んでいる典型か?再生する能力はあなたで完結するだけのものなのに、それを他者にも影響を及ぼす実験で、試そうとするなんて傲慢だな。彼女は男に対して、呆れと侮蔑が混ざった感情を向ける。    そんなことはつゆしらずに、   「人を食べるのかー、今までどれぐらい殺したの?」    男は何も恐れずに質問する。   「殺してない。すでに死んだ人を食べてます」    決めつけて質問して来る男に内心苛立ちながら答える。   「それって大丈夫なの?身元の確認とかさ」   「首とか、個人を特定できる部分は残して警察に渡してるから問題ないです」   「そういうものなのか。知らなかったなー。でも足りてるの?そんなに自殺者いないでしょ」   「まぁ他の食べ物で誤魔化してますね」   「なるほどねー。というか、回収してくれてありがとうね。よく考えたらあのまま大衆の前で再生してたら危なかったよ。拡散されそうだったし。それが原因で研究所に連れ戻されるのは最悪だしね」    しまった少し話しすぎた、と男は思った。研究所の話は別にしなくても良かった。   「まぁ、僕のことは置いといて、君に何かお礼したいんだけど、どうかな?」    男は慌てて話題を逸らした。   「お礼?そうですね、何がいいかな...」    カナエは悩みながらも、ある一つのお礼を考えついていた。    しかしそのお礼は、あまりに図々しく、口にできるものではなかった。相手の身体的特徴に関わるものを要求することになるからだ。   「あ、僕の腕でも食べる?」    カナエは驚いた。自分の頭の中を手に取ったように言い当てられたからだ。彼女にとって欲に関することを当てられるのは気持ちの良いものではなかった。    そんなことはつゆ知らず、男は話を続ける。   「僕は先程見ていただいた通り、常人離れした回復能力があるからね、腕の一本ぐらいは提供できるよ」    どこか誇らしげに男は言う    カナエは少し悩みながら答えた。 「じゃあ頂きます」   「腕でいいの?どこが美味しいのか僕は食べたことないから知らないけど」   「腕がいいです」   「じゃああげるね」    そう言って男は左腕を千切り始めた。筋肉の繊維が剥がれていく音と骨が折れる音が交互に響いた。   「はい、どうぞ」    男は片手で片手を渡してきた。   「ありがとうございます」    カナエは手を受け取ると、辛抱できずにに食べ始めた。    久しぶりの食事だと言うことを抜きにしても、極上の代物だった。    ほとばしる血肉が口の中で一杯に広がる。    カナエはそれを平らげると、満足気な表情で男に顔を向けた。   「ありがとうございます。おかげで助かりました」   「いやいや、お礼になったようで良かったよ。どう?美味しかった?」   「はい。とても美味しかったです」   「それは良かった。じゃあそろそろ僕はお暇するとしようかな」    その時、カナエはふと悲しくなった。もうこの男の身体を味わうことができなくなるのは嫌だと思ったからだ。    彼女の口から思わず言葉が飛び出した。   「待ってください。もうちょっとここに居て欲しいです。食料が足りないんです」     相手の性質を利用して、自らの欲を満たそうとする要求を他人にしている自分に驚きながら、彼女は男に話しかけた。   「え?でもここは君の場所でしょ?」   「どうせホームの下には誰も来ないから大丈夫です!」    駅員への配慮とか、そういったことは彼女の頭の中から無くなっていた。   「誰も来ないのは、好都合だね。うん。しばらくはここに居てもいいかもね。そうしようかな」    嬉しい気持ちを全面には出さないようにした。   「ありがとうございます」   「じゃあしばらくはここでよろしくね。あ、まだ名前を言ってなかったね、僕はスリクって言うんだ」   「私はカナエって言います」    2人のホーム下での生活が始まった。    といっても、カナエにとって食生活以外は特に変わらない生活が続いた。    朝、昼、晩の食事は、スリクが提供してくれた。食が大きく変化した。    一方で四六時中ホーム下にいるカナエの習慣は続いた。    それを見て驚いたスリクは、カナエに尋ねた。   「どうして外に出ないの?まぁここも外といえば外だけど」   「もし、街中にいる人を食べたくなってしまったら困るからです」   「うーん、だったらお腹いっぱい僕のこと食べてから外に出ればいいじゃん。満腹で、その上食べたくはならないでしょ」   「それはそうかも知れないけれど、でも貴方に悪いですし」   「僕よりも、カナエの体に悪いよ。ずっと同じ場所にいたらおかしくなっちゃうよ」   「そうですか?あまり分かんないですけど...」   「試しに、明日街に繰り出してみようよ」   「明日ですか?急ですね」   「急がば回れってやつさ」   「何ですかそれ?」   「分かんない。多分使い方間違ってると思う。とにかく、明日は一緒に出かけよう!」   「そこまで言うなら...分かりました」     翌日    朝は、しっかりとスリクの身体を食べてから街に繰り出す。    いきなり人が多い所だとカナエが疲れ切ってしまうと考えたスリクはまだ人通りの少ない朝の街を体験してもらおうと考えたのだ。    まだ低い太陽がビルの窓を照らす、そして反射光が街の地面に当たる。朝日が街中に乱反射して、心地いい空気を作り出す。    ホームの裏側ばかり見てきた彼女の目には、空が恐ろしく高い。    彼女の世界のZ軸が思い出される。    見上げるばかりに気を取られて、カナエは転んでしまう。    そして地面を見つめると、そこには砂利だけではない世界がある。    黒や黄色、茶色といった、人工的に舗装された地面が彼女の眼前に広がる。    カナエの中は好奇心で溢れそうになる。    地面にある丸い紋章は何か?    地面から生えてる石柱は何のためにあるのか?    様々な疑問が駆け巡るが、知らないという不快感は無かった。  新境地に行き着いた達成感や幸福感で頭の中が一杯になる。    やがて、人間が多く活動する時間になり、街は人間で溢れ出す。   「人が多くなってきたね」    久しぶりに会話をする。    カナエは街を見るのに夢中になっていたのだ。   「あ、はい。そうですね」   「どこか行きたいところはある?」    そう聞かれて、カナエは周りを見渡す。すると、人だかりを見つけた   「そうですね、あの人だかりは何ですか?」   「あれは、今人気のアイスクリーム屋だね」   「アイスクリーム?何ですかそれ?」   「甘くて冷たいスイーツさ」   「分からないです」   「百聞は一食にしかず!食べに行こう!」    そう言ってスリクはカナエの手を引いた。    行列に並んで30分後にようやくアイスを買うことができた。    丸くカラフルな物体、そして薄っすら白い煙が出ている。   「さぁ食べてみて」   「いただきます」    口にした瞬間、動いたことのない味蕾が働き出す。これが甘いっていうことか?甘さだけが脳に来る。しかしそんなことよりも   「歯が痛い」   「あははは、味覚じゃなくて痛覚と来たか」    スリクは堪らずに笑い出す   「そんなにおかしいこと?」   「いや、おかしくは無いけど、聞いたことがない感想だったからさ」   「ならいいんだけれど」    やがて日も暮れて夜の時間がやって来た。    光るネオンは朝日とは異なり、暖かくはないが、活気があった。    夜の街にも繰り出そうとしたその時、カナエのお腹が鳴った。   「あ」   「どうする?帰って食事にする?」   「そうだね。そろそろ帰ろうかな」    ホーム下に帰って、いつものように食事をした。    この日から2人はよく一緒に街へ出かけた。    色んな体験を共にした。    一緒にボウリングをしたり    一緒に喫茶店で他愛もない話をしたり    一緒に何もしなかったり    そんな時を共に過ごした    彼を食べるのが目的?    過ごすのはあくまで過程?    食べるだけの関係?    私は彼に何を求めて    彼は私に何を求めているの?    こうした生活を続けていく中で、彼女の中で疑問が湧いてきた。    私たちって何ていう関係なんだろうか、という疑問だ。    私は食欲を満たせているけれど、彼は私のことをどう思っているのだろう。    分からない。    私は欲を満たすためだけに彼を利用しているの?    彼は私と一緒に居て楽しいの?    分からない。    そうだ彼に聞いてみよう    私のことをどう思っているか、今日の夜帰ってきたら聞いてみよう    しかし、その日スリクが帰ってくることはなかった。    スリクは研究所にいた。元々スリクが居た所だ。そこは人外について研究を進めている。スリクは嫌気がさしてそこから逃げ出したのだった。    しかし、街中を歩いているときに捕まってしまったのだ。   「何だい?また研究漬けにするつもりかい?」    スリクは研究所の所長に質問する   「それは君次第だね」   「どういうことかな?」   「最近一緒にいる食人鬼をここに連れて来い。今から君が研究されるか、それとも君の代わりに彼女が研究されるか、どちらか選びたまえ」    最悪な奴だ。何で勝手に研究対象にされるんだよ。スリクは苛立ちを覚える。しかし表情には出さない。   「さぁ早く選びたまえ。まぁ選択は決まっているとは思うがね」   「分かりました。彼女を連れて来ます」   「それでよろしい」    所長室を後にしたスリクは、警備員に連れられて出口まで向かう。    その道中でスリクは警備員に話しかける。   「ちょっとトイレに行ってもいいかな?」   「我慢できないのか?」   「うん。できないね。もう漏れそうだよ」   「あー分かった。連れて行くから」    警備員は渋々スリクをトイレに連れて行く。   「ねぇ、トイレにまでついてくるの?」   「当たり前だろ。ほら早く」    警備員に背中を押された瞬間    スリクの体から血が溢れ出す    スリクは自身の身体を隠し持っていたナイフで切った。   「お、おい?!大丈夫か?」    ただの警備員に、研究対象の情報は知らされていないため、焦り出す。    うずくまるスリクに、警備員が駆け寄る。    その瞬間スリクは警備員のみぞおちに一発お見舞いした。    倒れ込む警備員。   「ごめんね、まだ研究所には用があるからさ」    スリクは研究所内を知り尽くしていた。    監視カメラの死角も、薬の貯蔵庫も、全て覚えていた。    そして、ある薬と注射器を手に入れ、研究所を後にした。    そこからは大急ぎでカナエの元へ向かった。    警備員が目を覚まして、上に報告される前にカナエに会わなくてはならなかった。    しかし、車がない。     そこで先程奪った、運動能力を飛躍的に上昇させる薬を注入する。デメリットとして、興奮作用があるが、この際仕方がない。    薬の効果で跳ね上がった脚力で彼女の元へ向かった。    1時間ほどでカナエの元に着いた。   「カナエ!」    息切れしながら、スリクはカナエに呼びかける。    カナエは嬉しそうな顔をして、   「スリク!どこ行ってたの?」   「話は後だ!お腹空いてないかい?」    急に話が変わったので、カナエは混乱しながら返事する。   「え?まあ空いてるけど...」    スリクは注射痕の残る左腕を差し出す。   「食べて!」    いつになく、口調が強いスリクに戸惑いながらも   「分かった。いただきます」    カナエはいつものように食べ始めた。いつもと違うのは食後からだった。   「あれ?何かいつもと違うやうな...」    直後、カナエの鼓動が彼女の脳内に響き渡る。身体中から汗が吹き出し、いつもは隠している角も大きくなり始めた。    抑えられない興奮と身体の高鳴りが彼女を支配し始めた。    そんな時、ホームの上で銃声が鳴り響いた。   「そこにいるのは分かっている!出てこいスリク!食人鬼!」    その怒号に刺激され、カナエは声のする方へ駆け出した。    研究員が撃ってくる弾丸よりも速く、カナエは彼らに襲いかかる。    ホームにいるのはまさしく鬼だった。    数分後、そこには食事を楽しむカナエがいた。      
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