第二章 母親から生まれていた時代

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 目の前にひれ伏す触手死体を見つめ、ようやく冷静になれた。  こいつはどうやら大人に寄生している。初めからここにいたのかは不明だが、大人たちはこいつらの研究をしていたのではないか。  宇宙ステーションならうってつけだろう。 『学校』をつくり、研究材料として学生を監禁し、死んだら機械と入れ替える……地球の外だから法律も条令もどこ吹く風だ。 「上等だよクソッタレ……」  触手死体から流れる赤い液体に混じり、薄紫色の体液のようなものが徐々に白衣に浸透していくのをぼんやりと眺めていた。 「きゃあああああああ!」  突然、女の子の悲鳴が聞こえた。 「塔崎さん!」  弾かれたように駆け出し、向かいの部屋の扉を勢いよく開けた。 「どうした!?」  扉の先はシアタールームになっている。  左右には座席が規則正しく並び、中央の通路を辿った正面には大きなスクリーンが威風堂々と佇んでいる。画面には何も表示されていなく、赤い血が所々に飛び散っている。  塔崎さんはこちらを向いて大きく目を見開いている。 「さ、笹島くん……」 「なにかいた?」  塔崎さんは息を詰まらせたみたいに黙ったままだ。 「…………」  そして懸命に頷く。注意深く見渡しても、それらしい姿は見えない。  やがて、 「いたの……なんか、へんなタコ」  重たい口を開く塔崎さん。どこにいるか問いかけると、 「……えっとね」  黒い影が視界の端でちらついた。 「その、ドアの裏に……」  たった今開けたこの部屋のドア。  壁との僅かな隙間から、するりと伸びる粘着質な触手。 「……なっ」  目を見開く。  壁と開けっ放しのドアの隙間はごく僅かでこんな所に入れる奴なんている訳がない。  ドアに張り付いてでもいない限り……。  その――まさかだった。  ドアに張り付いていた触手生物がその醜悪な姿を現した。  その姿はまさに、タコやイカのような軟体動物を連想させる。  色は薄紫色だが、その動きは海底で歩くタコそのものだ。壁に張り付くと驚異的なスピードで進んでいき、あっという間にスクリーンの方へ行ってしまった。 「宇宙人?」  ぼそりと、塔崎さん。  明らかに『人』ではないが、新種のタコでないなら、地球外生命体の可能性は十分すぎるほどある。  触手生物はスクリーン上を隅に向かって移動している。左右三本ずつ計六本の触手を器用に動かしている。 「……どうすんの?」  塔崎さんはそう言いながら、得物である金属バットを構える。 「君と同じ気持ち」  金属腕を構える。一振りし、間合いを確かめる。 「奇遇ね。そうするつもりだったの」 「にしては随分驚いていたね」 「当たり前でしょ! あんなキモいタコ、見たくもないし」 「案外美味しかったりしてな」  サイテーと呟く塔崎さんに背中を向け一息つき、一歩ずつスクリーンに近づいていく。  触手生物はスクリーン左上の隅で動きを止めている。じっと辺りを伺っているようにも思える。  ――  もり。  頭の中でぼんやりとした言葉の断片が響いた。 「…………」  触手生物を見つめる。  触手生物もまた、こちらを見つめている。  そのとき、弾かれたように触手生物がスクリーンから飛び立った。  スクリーン前の座席付近に降り立つ。一歩一歩と慎重に近づいていた俺たちの歩みを即刻ストップさせる。 「……」 「……」  背後の塔崎さんが息を呑む。  そして、先程スクリーンに向かった時みたいな俊敏な動きで真っ直ぐこちらへ突進してきた。その姿はタコというよりイノシシだ。  飛び掛かってくるに違いない。  身構え、その時を待つ。  しかし予想は裏切られる。 「なっ!?」  ものの見事に、股抜けされた。 「きゃっ」  触手生物はそのまま塔崎さんもスルーして開けっ放しだったドアから廊下へ走り去っていった。  嵐が過ぎたみたいに、辺りは無機質な静けさに包まれた。
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