第三章 クジラ駅運転見合わせ

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 左中央の部屋は研究室になっている。  中は手前と奥のエリアに分かれていて、手前はオフィス、奥に研究エリアが広がっている。両エリアの仕切りとなる窓は大きく割れているので行き来は自由だ。  そのせいか、理科室で嗅いだにおいが部屋中に充満している。 「なんの研究かしらね?」 「考えるだけ無駄だよ」  研究エリアには白衣を着た研究者の死体が目立つ。起き上がってくる者の気配はない。  壁にかかったバックパックから絆創膏や消毒液を頂戴する。  近くの壁に元素の周期表が貼られている。  理科の授業で呪文のように唱えた例の語呂合わせがフラッシュバックする。  一番がH水素、二番がHeヘリウム……、 「まてよ」 「なになに?」  首を傾げる塔崎さんに続ける。 「さっきの式、覚えてる?」  しばしの間の後、 「私が覚えていると思う?」 「だよね」  近くに落ちていたペンとそこら辺に落ちていた裏が白紙の書類を手に取る。  オフィスに一旦戻り式を写し、再び研究室に移動し必要事項をメモして、三度オフィスに舞い戻る。  金庫の前に立つ。  これから開錠の儀を行うのだ。 「もしかしてわかったの?」  塔崎さんは両目を輝かせてこちらを見る。 「こりゃ大変だよ」  デスクワーカーの人達に同情する。 「この式を解くのにいちいち研究室まで行かないといけないから」 「どうしてどうして?」 「まあ、見てなって」  メモを見ながら、数字をダイヤルする。その数字とは、 【154】  ガチャン、という音がして金庫が開いた。  開いた宝箱を前にしたように塔崎さんが両目を輝かせる。 「凄いじゃんペナルティ!」 「目前だよ。そこ重要だから」  どうしてわかったの、と塔崎さん。  わかってしまえばなんてことはない。周期表の番号を足せばいいだけだ。  Cuは銅で元素番号は29番、Niはニッケルで28番……以下同様だ。 「研究者にとっては常識かもしれないけど、こっちのオフィスの人たちには馴染みがなかったはずだ。しかも『今週』とあったから毎週変わっていたんじゃないかな」 「なるほどねー」  間の抜けた返答の後、 「それより! 中、見ようよ!」  急かされるようにして中を確認する。  中には一枚のカードキーが入っている。 「もしかして!」  マザー……と続けようとした塔崎さんを遮る。 「残念だけど」  カードキーを手に取る。  表面には【ブルーカードキー】とある。 「母親じゃないみたい」 「そんな簡単に見つかってくれないかあ」  金庫内には他に『監視室宿直担当リスト』と書かれた紙、ピカピカに磨かれたパイプレンチ、一枚のメモが入っている。  メモにはこんなことが書かれている。 【拝啓 明日の俺へ】  いつにも増してひでえ顔だな? 昨日は何飲んだ? どうせロックだろ? ロックはやめておけ。理由だと? それはお前が一番よく分かっている筈だぜ。  いくらガキどもの監視とはいえ、業務だからな。前日に飲み過ぎるとモニター酔いしちまう。計器類にゲロしたら始末書だ。担当階はわかっているな? カードキー入れておくからこれで入るんだぞ? ったく、どっちがガキだか(笑)。  俺は寝るぞ……愛しのロックが待っているからな!  あとパイレン、現場の連中から新規導入品のサンプルが届いたからクソ上司の頭叩き割るのに使ってくれ。専用アタッチメントと取り換えれば色々な加工をこいつ一つで出来るらしい。頭かち割るとかサイコーにロックじゃね? 今日も変わらぬ夜に乾杯。  金属腕を近くの机に置き、パイプレンチを手に取る。  ずっしりと重く、グリップも持ちやすいように設計されている。先端は捻ると取り外せるようになっていて、専用パーツがあれば用途に応じて様々な使い方ができるみたいだ。  劣化した金属腕の代わりには申し分ない。  軽く振ってみるとリーチも金属腕とほぼ同じで、遠心力での持ち手のブレも少ない。 「上司、どんな人だったんだろうね?」  塔崎さんが部屋を見回しながら言う。  残念ながら誰かはわからないが、クソなんて言われているくらいだから、クソだったんだなと思う。 「さあ。会ってみたい?」 「ううん、嫌。どうせクソだから」
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