プロローグ:標野(しめの)の人

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プロローグ:標野(しめの)の人

 きゃらきゃらと。  笑い声をあげながら白い廊下を駆けてゆく小さな足音が二つ。  背丈も髪の長さも、顔まで同じ、七、八歳と見える少女が二人。双子なのだろう。閉じられた白い扉の前で、インターホンを押す。 『はい』  若い男の声が返ってきたのを確認すると、少女達は同じ顔を見合わせ、同じようににっと笑い、 「せーの!」で同じ歌を(そら)んじた。 『あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る』  インターホンの向こうは、まだ沈黙している。最早待ちきれないとばかりに双子がわくわく顔をしていると。 『紫草の にほへる(いも)を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも』  二人を待っていたように扉が横滑りに開く。 「また来たのかい、額田(ぬかた)のお姫様達」  そう言って苦笑する青年に、少女達は、 「大海人(おおあま)のお兄ちゃーん!」  まるで恋人を待ち侘びていたかのように、それぞれ両脇から青年の腰に飛びついた。 「うおっと」  青年は軽く驚いたような声をあげつつも、慣れているのだろう、よろめく事は無い。何日籠もっていたのだろうか。髪はぼさぼさ、アンダーフレームの眼鏡は指紋まみれ。身に纏った白衣はよれよれで、ズボンの裾もほつれ始めている。だが、そんな身なりをしていても、少女達が怖じ気づく様子は無い。 「いくら所長の権限があるとはいえ、あまり来てはいけないよ、お姫様達。僕らは世界の秘密に関わる大事な研究をしているんだから」  青年がそれぞれの手で少女達の額を小突いても、「痛くなーい」「痛くないよー!」と小さな双子はころころ笑いを転がすばかり。全くこたえた様子は無い。そもそも青年も、本気で叱り飛ばす意図は無いのだろう。  白い扉をくぐった室内には、幾つものパソコンや機材が置いてあり、それらの配線がびっしりと床を覆っている。双子はそれを慣れた足取りでひょいひょい避けて進み、一人はパソコン前の椅子に、一人は簡易寝台に腰を下ろす。  その間に、青年はテーブルの上の茶渋が残ったカップ三つそれぞれに、ココアの粉をスプーン二杯、砂糖を一杯入れて、ポットのお湯をじゃぼじゃぼ注ぐ。スプーンでかき混ぜれば、甘いにおいが室内に満ちる。
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