南端銭湯日記

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 カポーンと洗面器を置く音が響く。テレビの騒音にまじって、脱衣所から常連のお爺ちゃんお婆ちゃん達の喋り声が漏れてくる。  清子はこの春から近所の銭湯で働いている。番台での仕事がほとんどで、あとは開店前に脱衣所を掃除したり、開店中に脱衣所の洗面台を拭いたり、髪の毛の落ちた床を軽く掃いたりするくらい。お風呂のお湯を沸かしたり浴場を清掃したりするのは、この店では男性陣が主に行っている。  これまで女性ばかりの職場にいた清子は、まだ慣れない。なにせ今まで天井の蛍光灯の取り換えや重い荷物の運び出しなど、何から何まで女性で賄っていたのだ。その中では「気が付いた人がやる」という暗黙のルールが出来ていた。  そうなると、なんだかいつも同じ人が同じ作業をするようになってしまい、たまたまその時に「気が付く人」が不利になってしまう。やっと中途採用で潜り込んだ会社だ。上司や先輩にあれもこれもさせる訳にはいかない。結局、人にやらせるのが下手なペーペーの清子がほとんどやることになり、疲れ果ててすぐに辞めてしまった。  お爺ちゃんお婆ちゃんたちはとても穏やかだ。お風呂に入りに来ているからかもしれない。疲れてどんよりした顔をして入って来た人が、頬を赤らめてすっきりとした表情で出ていくのを見るのが、このところ清子の楽しみになっている。  この辺りは今は廃れてしまったが、昔は漁師町だったそうで気サッパリとした気質の人が多い。ある程度の気遣いはあるが、話し方はストレート直球だ。これまでの「女の世界」とは違って、ビッグスマイルで話しかても、相手にギョッと驚かれない。  「お風呂に入っているときのように、素の自分でいられるなぁ」  そんな働き方ができる仕事場は初めてだった。気がかりはただ一つ、妙なお爺さんの存在だけだ。
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