第一章

6/12

68人が本棚に入れています
本棚に追加
/60ページ
「どうかされましたか? ずっとそこにいらっしゃいますが、誰かをお待ちですか? もう夜も遅いのでこちらの明るい方で待たれた方が……」  声に全身が反応する。ぞわぞわと産毛がたち、寒かったのに身体に火が灯るような感覚。私が何よりも耳にしたかった声だった。 「保科先生……!」    口から溢れた。  振り返ると呼ばれた男性は目を大きく開いていた。 「……もしかして、佐倉、ですか?」 「はい……」  保科先生はしばらく口を開かず、感慨深げに私を凝視した。 「先生……?」 「いや、すみません。女性は変わりますね。もう、中学生の佐倉とは別人だ。立派な大人の女性ですね。綺麗になりました」  保科先生はどこか寂しそうに、そして眩しそうに私を見て言った。  どこにでもいるショートボブの髪型。大学生になってから勉強した慣れないメイク。そんなごく普通の女子大生の私を綺麗になったと保科先生は言ってくれた。  そして何より、私だとすぐに分かってくれた。  私は鼻の奥がツンとするのを感じた。 「塾に用事でもあったのですか?」  保科先生の言葉に、 「近くに来たので寄ったんです。懐かしくなって」  と嘘をついた。 「せっかくだから、中に入っていきませんか? 自販機でいいならおごりますよ?」 「そう、ですね。入ります」  保科先生はガラスのドアを私の前で開ける。私は促されるままに入った。 「貴女は確か……アップルティーが好きだったかな」 「正解です」  覚えてくれていることに、思わず笑顔になった。保科先生は温かいアップルティーを私に渡した。そのペットボトルの外装を見て、酷く懐かしくなる。時々保科先生がおごってくれていたのも思い出した。 「懐かしいです」 「山かけテストの貼り出しも、ほら、昔のままですよ?」 「テストの多い学習塾でしたものね」  笑いながら答えていたのに、ふと私は自分が泣いているのに気がついた。  なんの涙なのか。保科先生に会えて嬉しいからなのか。もう塾には居場所がないことへの涙なのか。振られたことが意外にショックだったからなのか。自分でもわからなかった。  そんな私に保科先生は理由は聞かずに、 「感動の再会で泣けてきちゃいましたか」  とわざと明るく言った。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

68人が本棚に入れています
本棚に追加