T&D(prototype) ep.2

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T&D(prototype) ep.2

それは、その日の午後最初の授業、五限目での出来事だった。 五限目は古文の授業だった。 古文の教師である酒井は、その歳はもう間も無く六十といったところだろうか。 気力、あるいは覇気などといったものは、とうの昔に擦切れさせてさせてしまったかのような雰囲気だ。 そんな古文教師・酒井の授業はいつも退屈であり、そして、とにかく単調なものだった。 それは例えるならば、法事の際に聞かされるお経のようなものだ。 その古文の授業は、兎にも角にも眠気を誘うもので満ち満ちていた。 酒井の醸す弛緩した雰囲気。 彼の一方通行な説明に単調で抑揚に欠ける声。 お腹の中を占めるのは、昼食として購買部で買ったメンチカツパンその他諸々の惣菜パン。 肌を撫でるのは窓から吹き込む仄かに湿り気を帯びた梅雨前の微風。 こんなんで眠くなるなと言うほうが、むしろどうにかしているというレベルだ 寄せては返す眠気の波と苦心惨憺格闘していた俺は、気を紛らわそうと窓の外へ視線を向ける。 俺の席は窓際から数えて二列目、ちなみに後ろからだと二つめだ。 俺の左隣である窓際の席に座っているのは三矢杜琴羽(みやもりことは)だ。 黒縁の眼鏡に今時珍しい頭の後ろで一本にまとめた三つ編み。 その髪の色は艶やかな黒だ。 校則で一応は脱色など禁じられているものの、多かれ少なかれ髪の色を抜いている女子が殆どである中において、その艶やかな黒髪はむしろ異質ですらあった。 黒縁眼鏡の分厚いレンズが覆い隠す彼女の表情は、いつもよく分からない。 何を考えているのかさっぱり分かりかねる雰囲気だ。 三矢杜琴羽(みやもりことは)とは席が隣同士であるとは言え、会話を交わしたことはほとんど無かった。 いや、俺だけでなくて、クラスメイトの誰かが彼女と話している場面など、ほとんど見掛けたことはない。 まさしく、プロなボッチだ。 かといって、そのボッチ振りを彼女が気にしているふうは全く無いし、俺を始めとする周りの席のクラスメイトも、そのボッチぶりが気になることなど無く、ましてや話し掛けてみようという気も起こらない。 嫌悪感を抱いているとか、或いは近寄り難い印象などを三矢杜琴羽(みやもりことは)に抱いている訳じゃないんだけど、でも、何故だか彼女に話し掛ける気にならないんだ。 そんな感じに三矢杜琴羽(みやもりことは)のことを意識したのも、実は今日この時が初めてだったりする。 窓の外の風景、そして隣の席の三矢杜琴羽(みやもりことは)を、俺はぼんやりと見遣っていた。 何の変哲もない、いつもと変わらぬ平凡な午後だった。 そのはずだった。 けれども、異変は静やかに、そしてジワジワと迫りつつあった。
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