黒き喪失

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黒き喪失

白井(しらい) 典子(のりこ)/零時五分--】 大正十二年十二月二十五日━━ クリスマスという特別な日。大人は恋人や家族と聖夜を過ごし、子供たちは贈り物を楽しみにして眠りについている時間。 看護婦である私は、夜勤の担当をまわされ、勤め先である真城(ましろ)精神病院へと出勤していた。しかも、初めての夜勤である。 ━━よりにもよってこんな日に夜勤当番がまわってくるなんて そんなことを考えてぶつぶつ文句を呟きながら看護婦詰所に足を踏み入れた。 「あら、こんばんは典子(のりこ)ちゃん」 突然聞こえてきた声に俯いていた顔をあげると、先輩看護婦である只埜(ただの)さんが事務作業をしていた手を止め、こちらを見つめている。 「こ、こんばんは。お疲れ様です、只埜(ただの)さん」 私は慌てて挨拶を返した。本当なら後輩である私が先に挨拶すべきだけれど、私がのろまなのか只埜(ただの)さんが周りによく気を配っているからなのか、いつも先に挨拶をされてしまう。 「そういえば典子(のりこ)ちゃん、こんな話が――」 お喋り好きな只埜(ただの)さんと、いつものように雑談をしつつ、自分の名前が記されている箪笥を開けて、仕事用の平服に着替える。 着替え終わると箪笥の扉の内側についた小さな鏡を見ながら身嗜みを整えて看護帽を被る。白井(しらい)という苗字とは反対に真っ黒な外巻きにした髪、丸顔で平面的な顔立ち。少し垂れ目であることを除けばどこにでもいそうな平凡な顔を見て、もっと美人だったら良かったのにとため息が溢れる。 「そうそう、典子(のりこ)ちゃん……」 両手で頬を叩いて気持ちを切り替え、椅子に座って仕事の準備を始めた私に、只埜(ただの)さんが真剣な表情で話しかけてきた。 仕事の引き継ぎだろうかなんてことを考えながら、私は話を聞くために只埜(ただの)さんの方へ向き直った。 「初夜勤でいきなり一人勤務だけど、大丈夫?」 沈黙が訪れた。只埜(ただの)さんは心配そうに私を見ている。 初めての夜勤、その上で勤務にあたる人員は私一人。不安じゃないわけがない。患者さんたちに何かあった時、一人で対処できるのかというと、自信はない。 だけどうじうじとしていても仕方がない。どうしたって今日の夜勤は私しかいないのである。 「が、頑張ります」 少し間があって頼りのない感じに返答した私を、只埜(ただの)さんは尚も不安そうに見つめている。
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