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【白井 典子/三時二十一分--】
取っ手を握り、ふと私は冷静になった。
━━患者さんたちを見捨ててしまうの?
少し悩んで、私は取っ手から手を離した。
何人も助けることなんてできない。未だに見つからない稔ちゃんはともかく、偲月ちゃんだけでも助けよう。震える手を抑えながら私は覚悟を決めた。
女性がまだ降りて来ていないことを確認して、一度看護婦詰所まで戻る。耳を澄ましてみると、階段の方からギシ……ギシ……と足音が聴こえてくるのが分かる。
私は詰所の受付の裏に一旦身を隠した。息を潜めてじっと待っていると、やがて足音が段々と大きくなり、受付を挟んだ反対側まで来て一旦止まった。間近にあの女性がいる恐怖から叫び出したくなる口を必死に手で塞ぎながら、女性が離れるのを待つ。
「タシ……スレ……ワタ……シナ……テ……」
何かぶつぶつと呟くような声が聞こえてくる。何を言っているのかまでは分からない。言葉として成立しているのかすら怪しい。
やがて再び歩き出したのか、足音は今度は段々と小さくなり、詰所から遠ざかっていく。そっと受付から顔を出して廊下側を見ると、女性は厠の中に入って行った。
完全に姿が見えなくなってすぐに、私は階段を駆け上がって二〇一号室に入った。寝台には偲月ちゃんが一人でぐっすりと眠っている。
「起きて、偲月ちゃん!」
近寄って肩を揺すり、起きるように声を掛ける。少しして偲月ちゃんは眠そうに目を覚ました。
「お姉ちゃん? ……稔ちゃん見つかったの?」
偲月ちゃんの質問に私は頭を左右に振る。
「ごめんね、稔ちゃんまだ見つかってないの。 偲月ちゃんに起きてもらったのは、ちょっと外に用事があって一緒に出ないといけなくなったからなんだけど……」
「お外に?」
「そう、お外に。草履はある?」
「ん……」
目を擦りながら指差してくれた棚から草履を取り出し、未だに眠そうな偲月ちゃんに履かせる。寝間着のままだけど、着替える時間がないから仕方ない。
いざ逃げようと扉に近づくと、ギシ……ギシ……と廊下を歩くあの足音が聴こえてきた。
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