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その部屋から物音が聞こえた気がして、すぐに駆け寄り扉を開けた。俺もそれなりに寂しかったのだと思う。物音イコール何か生き物だと思うと、見てみたくて、それ以外何も考えていなかった。
正直、ネズミとかでもいいと思っていたけど、扉を開けた瞬間、大きく見開かれた、怯えたような瞳とぶつかった。
「え」
思わず出た声は自分のものだったのか、相手のものだったのか。少し掠れて、息が出た程度にも聞こえた声は、それでもこの音の少ない空間ではそれなりに響いた。
部屋に踏み入れようとしていた足が、自然と止まる。彼女が見るからに怯えていたからだ。ベッドから上半身だけを起こした彼女は、両手でベッドを擦りながら、必死に後ろに下がろうとしているように見えた。肩につかないくらいの黒髪が体の動きに合わせて左右に揺れていて、俺はそれを見て相手が生きている人間だとやっと認識したように思う。
「待って、大丈夫。何もしない」
相手が怖がっているのだと認識した瞬間、思わず両手を上げて、降参のポーズを取る。何も持っていない、何もしない、と伝えたかったのだ。危害を加えないことが伝わったのか、必死に後ろに下がろうとしていた様子はなくなった。だが、不安そうに両の手を胸元で握りしめている。
「あなたは」
何を言うべきかわからず、黙った俺に痺れを切らしたように、彼女が口を開いた。久しぶりに出した声に自分でびっくりしたのか、そこで言葉を切って右手を首元で触っている。こくんと喉を鳴らした後、彼女は言葉を続けた。
「あなたは、誰ですか? ここは、どこですか? 私は……どうしてここに?」
言葉が出ると安心したのか、不安が溢れたのか、一気に喋るように質問が続いた。
「俺は冴島努。頭が冴えるに島、努力のど、と書く。ここはシェルター。……病院にいたのは覚えてる?」
自己紹介で安心できるのかわからないけれど、できるだけ丁寧に回答しようと思った。最後を質問にしたのは、彼女にどこまで話すべきか迷っていたから。全てを話すには彼女は少し幼く見えた。子供、と言っていいくらいだ。
彼女は探るようにじっと俺を見ていた。そうしながら、記憶を巡っているのかもしれない。俺も起きたばかりの時は頭がはっきりするまで時間がかかった。一人だったからゆっくりしたものだったが、彼女からすれば、味方かどうかも分からない他人がいる状況は不安しかないのだろうと思う。
「シェルター? ……病院?」
しばらくして彼女は呟くように言った。覚えがないようだ。思い出そうとしているのか、俯いたまま動かない彼女に声をかける。
「ええと、名前を聞いても……?」
彼女はハッとしたように顔を上げて、再びじっと俺を見た。
「松本希、です。松に本物のほん、希望のき、と書きます」
信用に足る人物と判断されたわけではないのだと、彼女の目はそう言うようだったが、それでも自己紹介をしてくれた。漢字まで教えてくれたのは、俺のマネか。
「松本さん、ね。よろしく。ここにいる理由だけど、元々は病院にいたはずなんだ。大きな災害があって、病院からシェルターに移された」
「災害?」
彼女は食い気味に繰り返した。
「ママやパパ……あの、私の家族は……?」
親の呼び方に幼さを感じる。本人もそう思ったのかはわからないが、家族と言う言葉に換えて、質問した。じっと俺を見つめる瞳はまるで縋るようで、俺は言葉に詰まる。カルテを探せば、ここのどこかで眠っているのかわかるかもしれない。ここにいないのであれば……日誌によると生きてはいないだろう。その事実を告げるべきか、やはり迷う。結局俺は、首を左右に振った。
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