彼の場合

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「わからないな。……探してみるから、名前を教えてくれる?」  嘘は言ってない。彼女は不安そうにしながらも、家族の名前を口にした。  ***  結論を言うと、彼女の家族はここにはいないようだった。探し切れていないカルテがあれば別だが、おそらく間違いないと思う。それをまだ、彼女には伝えられずにいる。  カルテを調べて、彼女のことも知った。歳は十六歳。十四歳の時に交通事故に遭って、それからずっと目を覚さなかったらしい。そのままコールドスリープされ、今回目を覚ました事になる。  初めて会った時、立ち上がって逃げなかったのは、怯えからだと思っていたが、きっと立ち上がれなかったのだろう。二年間、寝たきりだったのだ。しかも、精神年齢は中学生のまま。体の成長にも驚いたに違いない。  起きた彼女を思い返しても、放置されている風ではなかった。眠ったままとなった彼女を、丁寧に世話した誰かがいたのだ。きっと家族だろう。愛されて育ったのだろうことが分かって、ますます本当のことを彼女に言いづらくなった。 「冴島さんは、何者?」  食事を運んだ俺に、彼女は聞いた。自己紹介はしたが、何者かは言っていない。彼女からしたら何も解決していないのだ。 「俺は……」  答えようとして、なんと言えばいいのかわからなくなった。正直に言えば、ただの会社員。あの日たまたま怪我をして、病院にいて、コールドスリープされて、たまたま目を覚ましただけの人類。けれどただの会社員が、病院から移された少女の世話をするのはどう考えてもおかしい。彼女の不安を増幅させるだけのような気がする。だから。 「俺は看護師。このシェルターで、君の担当になった」  俺は、嘘をついた。これで良かったのかはわからないが、彼女は少し安心したような顔になった。病院から移されたシェルターにいる看護師というのはしっくり来たのかもしれない。  一度嘘をついてしまうと、嘘がどんどん広がる。 「君は十四歳の頃に交通事故にあって、そこからずっと眠っていたんだ。目が覚めて良かった」 「災害もあって医師の手が足りない。松本さんは、あとは体力をつけるだけだから、俺がメインで看ることになってるんだ」 「家族については問い合わせ中。きっと無事に見つかるよ」 「シェルターは安全だから安心していい。外の世界からは時折連絡が入る。外には元気になったら出られると思うけど……医師判断だからなんとも言えないな」  正直、医学の専門的なところは全くわからない。漫画とか小説とか、架空の情報で全て乗り切っている。動き回られても困るので、まずは心のケアだと称して、会話をする日々だった。脚のリハビリは極力やらない。様子を見て、始めればいい。  話すことは、事故に遭う前の彼女の学生生活だったり、家族の話だったり、俺の学生時代の話だったり、休みの日の話だったり。コールドスリープする前の生活が昔すぎて、思い出すのに苦労した。学生生活なんて、もはやどれほど昔のことなのか、考えるのもちょっと嫌になる。けれど彼女が喜ぶから、頑張って思い出して彼女に話した。彼女が全てを信じたのかはわからないけれど、特に深く突っ込まれることはなく、日々が過ぎていった。  冴島さんから、努さん。努さんから、努くん。慣れてくると、彼女は俺の呼び方を変えていった。幼い口調で「努くん」と無邪気に呼ばれると、なんとも言えない気持ちになる。 「一応俺、三十間近なんだけど……」  そう言って抵抗してみたけど、彼女は「大丈夫。努くん、若く見えるよ。学校の先生より全然かっこいい」と笑った。  彼女の中で世界は続いていて、いつかそこに戻れると信じている。俺はもちろん、いつかは本当のことを話さなければと思っているのに、今日もまた、彼女に本当のことを言えないでいる。
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