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まず始めたのは脚に力を入れる練習。それから関節を曲げたり動かしたり、筋肉をマッサージしたりを繰り返した。私だって素人なので、そのやり方が正しいのかはわからない。けど、手探りでもやっていくしかない。情報を得るために。
掴まり立ちができるようになったときには、かなりの達成感だった。バランス感覚が難しいけれど、少しずつ進める。彼には言えないのが悔しかった。……一緒に喜べたら良かったのに。
掴まり立ちにも慣れたある日の夜、物音がしないのを確認して、そっと部屋を出る。廊下には部屋がたくさん並んでいた。ドアはどこも似たようなもので、迷いそうだ。私は自室のドアにハンカチをくくりつけた。
他の部屋には、誰がいるんだろう。気にはなったけど、私は彼以外に会ったことがないし、隣から活動しているだろう音も聞いたことがない。壁やドアに手をかけても、中に人がいる感じはしなかった。開ける勇気も、正直無い。
その日誌は、意外とすぐに見つかった。自室からまっすぐ廊下を歩いていくと、扉のない部屋があって、そこにカルテや日誌が散らばっていたのだ。まるで、いつでも読めるように。彼がそうしたのだろうか。私が歩き回るはずがないと油断していたのか、もしくは、私に見せたかったのか……。私じゃ無いにしても「目覚めた人」がいた場合に、すぐ見つけられるように、かもしれない。
人類滅亡の危機。日誌はSF小説を読んでいるようだった。チープな、特にひねりも無い、SF小説。
でも本当は、心の中で気づいていて、知らないふりをしていた気がする。外の世界に「日常」はもうなくて、ここには今、私と彼しかいなくて。ここに散らばるカルテの数だけ、人がいるのかもしれないけれど、しんとした静けさからいないのだろうと予測できた。彼が私以外を起こさないのはなぜか。私と二人きりでいたいとか、そんな甘い想像をしてみたりもしたけど、多分違う。
私が目を覚ましたときだって、彼はすごく驚いていた。きっと私は、彼に起こされたわけではないのだ。……私でも、他人をコールドスリープから起こせるか、と聞かれた躊躇するだろう。
日記には、こうなってしまった原因については「天災により」としか書いていなかった。それが本当なのかは確かめようがないけれど、彼……努くんが必死に隠そうとしていることが全てな気がした。彼のカルテも見つけたので読んでみたが、初期天災にて怪我により意識不明、と書いてあった。それならきっと、彼が知っている情報も少ないのだろう。
一患者だったはずの彼が、誰も起こすこともできず、偶然目覚めた私を気遣い、世話をしている。私が逆の立場だったら、できただろうか。
それなりのショックもあってか、寒くすら感じていた体だったが、胸のあたりがじんわりと暖かいような錯覚を覚えた。視界が滲む。彼の優しさが、辛くて、嬉しい。
***
「ねえ、努くん」
ベッドの上から、彼に声をかける。彼が運んできた食事を、一緒に食べ終えたところだ。食器を片付けている彼に向かって、私は尋ねる。
「いつか……いつかね、私がちゃんと歩けるようになったら……」
そこで彼が私と視線を合わせた。続きを促すように、首を傾げる。
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