ドルトムントの半球

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レア回収とは年間パス入場者の病的な隠語である。なぜなら依存症めいた部分があるからだ。減価償却しようと「通勤」と称して日参する暇人がいる。何が楽しいのかといえばゲームのマルチエンディングやルートをすべて回収する感覚で飽きもせず同じショーを観ている。足蹴く通ううちに俳優の癖や個人名まで把握し微妙な違いを満喫しているのだそうだ。そして彼らはトラブルさえも喜ぶ。公演が機器の故障や停電で中止しようものなら珍事(レア)だと狂喜する。そして最大のレアが起きた。 とどまるところの知らない感染拡大はついに日本の首都と五大都市をロックダウンに追い込んだ。抵抗力の弱い人々の命を守れという大義名分のもと莫大な経済損失を覚悟のうえで各都道府県知事は幅広い業種に休業を要請した。 とにかく罰則付きの強権を発動してでも人の流れを止めなくてはいけない。学校や一般企業はもちろんのこと、生活に必要不可欠なライフラインであるスーパーマーケットやコンビニまで時短営業を迫られた。 そんななか、もっとも不要不急と判断されるのがエンターテイメント業界である。 そして長期休業の打撃をもろにかぶるのがテーマパークだ。 首都郊外にある純和風テーマパーク「ひょっとこランド」も要請を受けた。 創立五十周年記念イベントを準備して盛大に祝おうとしていた矢先の災難である。もともと日本の祭りに特化した遊戯施設など国内の観光需要は少なくインバウンド需要でどうにか経営が成り立っていた。それが感染症の拡大で外国人観光客の足がぱったり絶え起死回生の記念行事も潰えた。 「遊園地を無観客で運営しろ? どういうことだね?」 受話器を握りしめたまま園長は凍り付いた。 よくわからない、という困惑気味なコメントつきで転送電話を受け取った。 相手は恐れ多くも都道府県知事である。テーマパークの管轄は多岐にわたる。例えば遊技場としては風営法、レストランの設営は食品衛生法、ミュージアムは博物館法。第十条の土地建物に関する権限を濫用して知事が介入してきた。 県職員は言う。ワクチンが効かず感染力が強いダブル変異株がインドから国内に入った。既に感染者が全国で日に五千人を超えており、三度目の緊急事態宣言は平和ボケに冷水を浴びせる。是が非でも協力して欲しい。 しかし、義務と補償はセットである。 「補償金はいくら出るんですか?これ以上ベテランのキャストに辞められると困る」 園長は当然の要求をした。すると、トンデモ回答が来た。満額でもゼロでもない。斜め左下だ。 「それに関しては国に相談中です。天文学的な額なので。その代わり営業はしていただきます」 「どういうことだね? 不要不急の外出は禁止だろうが?」 園長が声を荒げた。しどろもどろで相手は恐縮する。 「ええ、ですから、無観客で…」 「ファッツ?」 園長は茫然自失し、灰ならぬアスキーアートとなって崩れ落ちた。
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