本音・オン・ザ・ロック

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 金曜日の夜。駅へと連なる大通りを一本入ったところ、路地裏の片隅のバーで、山川壮介はひとり静かに佇んでいた。カウンター席しかない店内には、客は山川のほかに一組のカップルがいるのみ。山川は酒を飲むでもなく、バーテンがシェイカーを振るさまを眺めていた。  左腕に巻いた時計を見ると、時刻は七時半を回ったところ。約束の時間になったが待ち人未だ来たらず、店に悪いかと思い何か注文しようとした、そのときだった。  来店を知らせる鐘がからんころんと鳴り、バーテンの「いらっしゃいませ」という声に迎えられて、立石明が入ってきた。 「遅れてごめんな!俺から誘ったのに!」  申し訳なさを含みつつも快活さが滲みだすような声とともに、立石は山川の右隣に滑り込むように座った。 「気にすんなよ。やっぱり忙しいんだな、学校の先生って」 「いやあ、急に職員会議やることになってさ」  愚痴なら聞くぜ、と労いつつ山川が右手を挙げると、バーテンが注文を取りに来た。山川はウイスキーのロック、立石はマティーニ。乾杯をしてとりあえず一口飲み、二人ともグラスをカウンターに置くと、立石は学生時代と変わらぬ人懐っこい笑顔を山川に向けた。 「まさか三年間同じ電車で通勤してたとはな。卒業以来一回も会わなかったよな?」    顔だちも整っていて爽やかだし女子生徒に人気があるだろうな、と山川は思いつつ、 「ああ。学生の頃はしょっちゅう飲みに行ってたのにな」 と、思い出話に乗っかった。  大学時代、山川と立石はとある都内の私大の教育学部に通っており、語学のクラスや旅行サークルで一緒だった。割と仲が良かったが、大学に入った理由や将来の目標は違った。  山川はその大学の教育学部しか受からなかったから教育学部に入ったのに対し、立石は初めから教員になりたくて教育学部に入った。山川は結局、教員免許を取るための科目は早々に出席しなくなり、切り捨ててしまった。そして卒業後、山川は大手企業に就職し、立石は教員になった。しばらくは時々会って飲んでいたが、段々と会う回数も減り、連絡も取り合わなくなった。先日、たまたま通勤電車で足を踏んでしまった相手が立石で、そこから立石と飲みに行くことになるとは思っていなかった。   「まあ、こんな洒落たバーなんて行く金はなかったけどな」  思い出したように、山川は付け加えた。ここは立石の行きつけのバーで、一人で来ることも多いという。相変わらず学生時代に通っていたのとあまり変わらない安居酒屋ばかりで飲んでいる山川は、立石と差がついたような、妙な気分になった。 「何だっけあの居酒屋、あそこのビール、すっごい薄かったよな。でも今は相当稼いでるじゃんか。誰もが知ってる有名企業の広報課勤めなんだからさ」 「それほどでもねーよ」 「仕事もかなり忙しいんだろ?」 「今はそうでも。働き方改革やらリモートワークやらで」 「働き方改革にリモートワーク、かあ」  立石はマティーニを一口飲むと、遠い目をして笑った。 「学校も全部リモート授業にならないかな」 「そりゃ無理だろ。学校は授業だけじゃなくて、あの場所自体に価値があるだろ」 「そうなんだよなあ。生徒たち、みんな楽しそうに通ってくるからさ、俺も刺激もらってるよ。というかいいこと言うな。お前も教員目指せばよかったのに」  山川はグラスをくゆらせると、無理無理と、頭を横に振った。 「俺みたいに半端な気持ちしか無い奴に務まるとは思えないよ。俺はなんていうか、とりあえず働いて暮らしていければいいやとしか思えないからな」 「そっか。まあ、山川はそういうところドライだよな。でも、そんなんで仕事、楽しいか?」  山川はグラスをくゆらせる手を止めた。山川は頬に立石の視線を感じたが、なぜか彼の顔を見ることができなかった。少し間を置いて、ウイスキーを一口飲んだ。 「……楽しむために働くわけじゃないだろ?」 「それも正解だな。にしても、勝手な奴ばっかりで嫌になるぜ、学校って」  立石が正面に顔を向きなおし、マティーニを口を付けた様子を感じ取ると、今度は山川が立石に向き直り、その横顔を見つめた。愚痴を垂れている割には、頬から笑みがこぼれているように見えた。苦境を楽しみ、ばねにしている人間の顔だと思った。 「教師って人間できてるんじゃないのか?」  山川の素朴な疑問を、立石はハハハッと嫌みのない空っとした声で笑い飛ばした。 「そりゃ教師に幻想見過ぎだ。学校なんて狭い世界で足を引っ張り合うことしかできない奴も、多いよ」 「へえ、意外だな。ま、働いてればそういう奴にゴロゴロ出くわすもんか」 「そういうこと。でも、今の仕事、楽しいよ」  不意に立石が山川に顔を向けると、二人の視線が合った。山川が立石の目をきらきらしていると感じたのは、瞳に店の照明が映りこんでいるのを輝きと錯覚したからだろうか。  いずれにせよ、山川は立石の純粋な瞳に当てられそうになり、振り切るようにウイスキーを口にした。 「残業多いししんどいって聞くけど、大丈夫か?」  疑問を投げかけた後で、山川は、自分が立石にそう感じて欲しいかのように思っていることに気が付いてハッとし、もう一口ウイスキーを飲んだ。 「そりゃ、しんどいぜ。飲みの時間を作るのにも一苦労だったよ、拘束時間がとにかく長いからな。先輩教師とか上司から理不尽なことも散々言われたし。でも、生徒の成長を見られるのが、何より嬉しいんだ」 「……そうか」 「羨ましいだろ?」 「いや、別に。俺は割り切ってるから、自分の時間が無いのは嫌だな」  山川は立石から目を背けるようにを、ウイスキーをぐいっと多めに飲んだ。 「ほんと、ドライだな。てか、ペース早いな」    そんな山川の様子に苦笑しつつ、立石が何か食べるかとメニューに手を伸ばしたとき、立石のポケットからスマホの着信音が流れた。至って普通の呼び出しベルの音だった。  立石はポケットからスマホを取りだし画面をタップするや否や、顔をしかめた。 「また時間外に電話してきたよ、教頭」 「そんなの有りなのか」 「所詮は外部と違う隔離社会だから。ちょっと出てくる。わりいな」  時間外に上司が部下に電話をかけるなど、世間に知られればブラック企業だとバッシングを受けるだろう。山川の会社でも昔はよくあったそうだが、今では厳しく戒められている。  教師は、というより立石の学校は大変だ、やはり自分に教師は無理だった、と山川は思った。一方で、「生徒のための一言で何でもやらせやがって」と愚痴りながら出ていった立石の顔は、言うほど不満げではなかった。 「羨ましくなんか、ねーよ」  自分の気持ちは自分が一番よく分かっているのにな、と自嘲気味に笑いながら、山川はグラスの残りを飲み干した。 
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