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クマのぬいぐるみと日常
次の日の朝、ベッドの隣にはクマのぬいぐるみが目を閉じてすやすやと寝ていた。
すぅー、すぅーと小さく息を吸って吐く音が聞こえる。
そのリズムに合わせて、胴体が少しだけ膨らんだりへっこんだりする。
クマのぬいぐるみは眠そうにゆっくりと目を開けて、
「おはよう〜」
と、とろんとした目で言った。
その言い方や表情は、朝が苦手な彼女とそっくりだった。
昨日のことは夢じゃなかったんだという驚きと落胆、そして、「じゃあ、ミキはどこにいるんだ」という不安で僕は思わず顔を歪めた。
考えてもどうしようもない。
僕は起き上がって、
「ねぇ、今日は休みだし、君を探しに行こう」
と提案した。
「うん、いいけど。もうちょっと一緒に寝ようよ」
彼女はいつもの休日どおり二度寝をしようとするので、僕は彼女の両脇に手を入れてすっと持ち上げた。
ぬいぐるみの彼女はふわっと持ち上がって浮いた。
彼女はぶすっとした顔でこちらを見下ろしていた。
僕は着替えて、ダボっとした大きめのパーカーの内側に彼女を入れて、彼女がいないか近所を探し回った。
パーカーに彼女を入れて彼女を探すってかなり意味がわからないけど、そんなこと考えている余裕はない。
実際に昨日の夜から彼女は家に帰ってきていないわけだから、何かあったんじゃないかと不安でたまらない。
「どこにもいない......」
彼女と散歩をしたことがある近所の川原や公園や神社、駅前のショッピングモールを探してみたけれど、彼女の姿は見つからない。
やっぱり何かの事件に巻き込まれたのではと思って、ネットやテレビの報道番組や彼女の名前を探したが見つからなかった。
交番に行って、
「奥さんがクマのぬいぐるみになってしまって、どこにも見つからないんです」
といったら警察にヤバい人扱いされた。
普通に「奥さんが行方不明になってしまった」って言えばよかったと、交番を出てしばらくして気づいた。
けど、どうせ夫婦喧嘩でしょ、とどっちみち取り合ってもらえなかったかも知れない。
「大丈夫だよ、そのうち見つかるって」
パーカーの中から僕の顔を覗いて彼女は言った。
彼女自身が一番不安なはずなのに、弱気な僕を優しく励ました。
家に戻ると、クマのぬいぐるみになった彼女は普段通りに生活を送っていた。
その丸い手でしっかり包丁やおたまを握って食事を作り、一緒にご飯を食べる。
食べたものはどこにいくのか尋ねてみたが、動くことで消化しているんだと思うと言っていた。
次の日もその次の日も、彼女はクマのぬいぐるみのままで、彼女の体は見つからなかった。
僕はできるだけ早く家に帰り、彼女を探すために近所を回った。
パーカーの中にいるクマのぬいぐるみを子供が興味津々に見つめたり、不思議そうな表情を浮かべる人もいたけど、
「パーカの中ってあたたかいし、歩かなくてよくて楽ね」
と彼女が嬉しそうにしているので僕は気にしないようになった。
何も手がかりがないまま、彼女がクマのぬいぐるみになってからもう1ヶ月が経とうとしていた。
あまりにも彼女が普通に暮らしているので、彼女は以前からクマのぬいぐるみだったかな、と思うほどだった。
それくらいに今まで通りの日常だったし、彼女自身も何も変わっていなかった。
ある日、スマホのカレンダーを見ていた僕はあることに気がついた。
「あ、来週ミキの誕生日だ。
あのレストラン予約していたんだった」
それは家の近所にある小さなフレンチのお店だった。
年配の夫婦でやっている落ち着いたお店で、僕たちは誕生日や結婚記念日にはそこにいくことが習慣になっていた。
「行きたかったな......」
彼女は顔を下げてしょんぼりとしている。
「行ってみる......?」
「いいの!?」
彼女は表情をぱっと明るくさせた。
お店のご夫婦に信じてもらえるかわからないけど、僕はクマのぬいぐるみになった彼女を連れてレストランに行くことにした。
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