クマのぬいぐるみと遊園地

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クマのぬいぐるみと遊園地

彼女が「行きたい」と言った場所は、彼女の実家の近くにある遊園地だった。 僕たちが暮らしているところから車で1、2時間程のところにある。 結婚する前に一度だけ彼女とここを訪れたことがあった。 地方の遊園地だけど敷地はやけに広くて、大きなジェットコースターや水が流れる急流すべり、お化け屋敷なんかもあった。 けれども、絶叫系が乗れない彼女が 「あ、あれに乗ろう!」 と指差したのは、パンダの動く乗り物だった。 「キョウくんは、クマね」 これは子供の乗り物だろうと遠慮したけれど、地方の遊園地だけあって全然人がいないし、ほぼ貸切状態だったので、僕は彼女の指示のもとクマの背中に乗っかった。 お金を入れると、軽快な音楽が流れてパンダとクマが動き出す。 ハンドルを動かすとその方向に動いていくのだが、前を進む彼女になかなか追いつかない。 彼女がハンドルを回転させて僕の方にパンダを向かわせるが、パンダとクマが出会う前に、音楽が止まり、そのあと少しして動かなくなってしまった。 時間切れだった。 僕たちは止まってしまったパンダとクマに乗ったまま見つめ合い、笑い合った。 大人が遊園地でジェットコースターでもお化け屋敷でもなく、パンダとクマの乗り物で遊ぶなんて、最高に面白かった。   クマのぬいぐるみになった彼女もやっぱり、 「あれに乗りたい」 とパンダの乗り物を見つけて言った。 前に来たときに乗ったクマの乗り物は故障してしまったのか無くなっていて、代わりにピンクのウサギの乗り物があった。 僕はパンダの背中に彼女を乗せて、その後ろに座った。  何を追いかけるでもなくパンダは自分が行きたい方向に進んでいく。 「小さい頃はお父さんと一緒に乗ったな」 彼女は元気のない声でポツリと言った。 今、彼女はどういう表情をしているのだろう。 僕は小さなクマのぬいぐるみの丸い後頭部を見つめた。 軽快な音楽が止まって、パンダも動かなくなった。 パンダから降りて彼女をそっと抱き上げると、 「面白かった〜!」 といつも通り笑ってみせた。 帰り道、彼女の実家の前を通った。 彼女は運転席の助席から彼女が育った実家をチラッと覗いた。 彼女の目に涙が溜まっていたが、彼女は涙を堪えて口をキュッとしめている。 実家の前を通り過ぎて程なくして、彼女の両親と彼女が可愛がっていた犬が散歩しているのが見えた。 彼女はそれに気づいて、顔を俯けてぽろぽろと泣いた。 彼女が小さく啜り泣く声が聞こえた。 彼女の両親とすれ違った後、僕は道路の脇に車を止めた。 「大丈夫、絶対戻れるから」 僕は涙を堪えながら言った。 「戻れなくても、僕が抱っこして連れていくし」 彼女は何も言わずに小さく何度も頷いた。 戻れなくて辛いのは、哀しいのは、不安なのは、彼女自身なのだ。 僕は彼女が戻れるのならば何だってするし、今のクマのぬいぐるみになった彼女をもう泣かせたりしない。そう心に誓った。
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