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北はどのようなところなのだろう。
高齢の領主だと言っていた。幸せとは言わないまでも、心穏やかに暮らすことくらいはできるだろうか。
いつか、帰国したグウィディウスが迎えに来てくれたとしても、その時にはもう遅い。
優しい笑顔が脳裏に浮かんで、胸が張り裂けそうになる。
『ガレは本当におてんばが過ぎるよ』
グウィディウスは、よく困った顔で笑ってそう言った。
ガレベーラは顔を上げると、ドレスのスカートで涙を拭いた。
まだ震えている手を、もう片方の手で包み込むように握りしめる。
辻で、馬車がいったん止まった隙を狙って、ガレベーラは転がるように飛び降りた。
身一つとはいえ、そこそこの高さがあったので体への衝撃は大きかった。
逃げるところを人に見られて御者の男に知らされるとも限らない。
痛みに耐えながら、なんとか立ち上がると急いで路肩の人込みに紛れた。
空になった馬車が、ガレベーラの逃亡に気づかないまま遠ざかっていくのを、息をひそめて見送る。
日の暮れた街中に立つことなど、人生で初めての事だった。
ガレベーラは恐ろしくもあり、恥ずかしくもあって下を向いた。
髪も結わず、傘も帽子もかぶらず出歩くなんて。
肩掛けも、首巻もなく、頼れる人もいない。御者の男すら、もういなくなった。
しかし、恐怖を天秤にかけた結果だ。
北へ行ってしまえば、簡単には帰ってこられない。
貴族でも歩いていれば助けを求めようと思ったが、夕暮れの街は労働階級の人ばかりだった。
家に戻っても、先ほどの剣幕では迎え入れてもらうのは難しいだろう。
いきなり王城を訪ねても通してもらえないそうだから、まずアルディウスに手紙を出して、迎えを寄こしてもらえばいい。
とにかく、どこか落ち着いた場所で、よく知る誰かに話を聞いてもらいたい。
しかし、常に馬車で出かけ、次に停まったときには目的の場所にいることが当たり前だったガレベーラに、友人の屋敷の場所などわかるものではない。
遠いのか、近いのか、今いる場所さえわからない。
「あの、失礼。少しお尋ねしますが……」
勇気を出して道行く人に声をかけ、ようやく耳を傾けてもらえたのは何人目かのことだった。
いくつかの貴族の名前を挙げて、一番近い屋敷への道順を教えてもらう。
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