5.領主

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「ああ、トーロ夫人、ありがたいこと……。想像以上だわ」  ガレベーラは涙を流した。 「ラナンに案内してもらって階段下も見に行ったよ」  そこには、ガレベーラの書き残した手本が残っていた。  紙とペンを手に入れることは難しく、破れた新聞紙の余白に、枝の先に炭の粉をつけて書いたと言った。  文字のほかに、単語もいくつかあった。  ラナン、ペルラ、ガレ。  ありがとうございます、ごめんなさい、ごきげんよう、おやすみなさい、あいしてる。  それらは、確かに、美しいガレベーラの手蹟だった。 「……王都では辛いことも多かったけれど、寂しくはなかったわ。むしろ、今日まで来られたのもあの日々があったから。幸せの大小は豊かさや貧しさの問題ではないと知ったわ」 「理屈では分かっていても、それを肌で理解するのはなかなかできることじゃない」 「トーロ夫人にはわたくしも何度もパンを頂いたのよ。さすがにお屋敷には入る勇気はなくて、ラナンがもらってくれてきたものだけれど」 「トーロ夫人には、色々と驚かされた」 「貴族のお屋敷で施しをして下さったのはトーロ夫人だけよ」 「最初は友人令嬢を頼ったそうだね」 「……思い出したくない過去だわ」 「貴族は、都合に合わせて他人に過関心であり、無関心にもなるからね。身分を笠を着て、私利私欲のため、虚栄心を満たすためだけに存在している。ろくでもない者ばかりだ」 「そう決めつけるのは早計よ。でも、人を見かけで判断することはしてはいけないわね。見かけの話だけではないわ。生まれや育ち、身分で卑しいと決めつけるもの問題よ。高貴だから、身分が高いから、素晴らしい人間とは言いがたい」 「ああ、その通りだ」 「かつて公女だった頃のわたくしは、わかったつもりでいただけで、実際は何もわかっていなかった。今思えばおかしいほどに、あの頃のわたくしは見紛うことなきちゃんと『貴族』だったわ。貧しい者へ、してあげた気になって、感謝を額面通りに受け取って。傲慢で愚かだった」 「……孤児院の院長が、とても悔いておられた」 「いいえ、院長にはよくして頂いたわ。わたくしが何も現状を知らなかっただけよ」  ガレベーラは祈るように、悲痛な顔になった。 「大丈夫だ。君は生きている。……元気で、たくましく、美しく、生きている。院長もご安心なさるだろう」
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