カルーアミルク

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「いらっしゃい……あら、(そら)くんじゃない。(かず)くんと(ひかる)くんも。今日の七時半からよね、出番」 「そうなんですけど……」  マスターから空と呼ばれた奴はしばし黙り込んでしまった。 「どうしたの?」 「勇人(はやと)が今日来れなくなって……」 「あら、また急ね……何か他に用事でもできたのかしら?」 「インフルエンザらしいっす」 「それはお気の毒ね……勇人くんはギターだったわよね。ライブは……難しい?」  マスターは空の顔を見た。 「すいません。本当はやりたい気持ちでいっぱいなんですが、ギターが不在となると……」 「そうよね……困ったわ」 「あのぉ、ギターならここにいますよ!」  川島が大声を上げた。 「どこにいるんだよ、そんな奴」  俺が最後の一口を口に含む。 「いるじゃない、冬弥くん。あなたよ、あなた!」  予期せぬ答えに、俺は口に含んでいたカクテルを危うく吹き出しそうになった。どうにかこらえるも、気管に入ってしまった。 「……何言ってんだよ」 「だって、言ってたじゃない! バンド組んでたって」 「軽音やってたの高校の時だし、もう三年ぐらいまともにやってねぇ」 「そんなこと言って……実は家で練習しているんじゃないの?」  俺は一瞬ドキッとした。どこか見透かされているような気が……。確かに川島の言うとおり、家に帰ると必ずと言っていいくらいギターに触れている。高校の時のメンバーは皆上京したっていうのに、いまだにギターを手放すことが出来ないでいる。 「……バンドとしてはもうやっていない。それに、今夜は飲んだから無理だ」 「……聞きたかったな、冬弥くんのギター」 「無茶言うなよ」  俺たちのやりとりを見ていた空が口を開いた。 「冬弥って……もしかして、森山(もりやま)先輩ですか?」 「ああ。って、何で俺を?」 「見たんです! 学祭のライブ。すげーカッコイイなって。俺も先輩みたいになりたいと思って、軽音に入ったんです」  目を輝かせた空を見ていると、どこか昔の自分を思い出した。そういえば、俺も初めて見たビジュアル系バンドのライブで同じことを考えていたっけって。 「冬ちゃん、私からもお願い。この子たちを助けてあげると思って。上手くできる必要はないのよ。ここに来たお客さんと一緒に皆で楽しんでもらえれば、それで良いんだから」  川島、マスター、空……皆の目が俺の方を向く。 (はぁ、結局こうなるのかよ)  俺はしぶしぶ言った。 「どいつもこいつも。どうなっても知らねーからな……で、曲目は?」  俺は空の顔を見た。 「あっ、これです!」  差し出されたリストに目をやる。俺は自分の目を疑った。 「これって……俺が高校のライブで演奏した曲……」 「自分たちも先輩と同じ曲をやりたいなって」  それから約三十分のリハーサルを経て、いざ本番。と言っても、もはやぶっつけ本番に近いが。  ボーカルの空のMCでスタートする。客の目がこちらへと向いた。 (よし!) ドラムの合図で、ギターを弾き下ろす。バンド――しかも初見でほぼぶっつけ――で音を合わせて弾くのは約三年ぶり、酒が入った最悪の状態。案の定、ところどころ調子っぱずれな音が出た。 (最悪……)  俺がそう思った時、 「冬弥くん、カッコイイ!」  川島の声。心臓がバクバク鳴る。久々に人前で弾いたからか、酒が入ったからか……いや、違う。それは……コイツに見られているから。  すっかり酔いの醒めた俺は、三年前と同じように後半を難なく弾き終えた。  ライブの後、俺がカウンターへ戻ると、 「お疲れ様、良かったよ!」  川島が無邪気に笑う。 「おかげですっかり酔いが醒めちまったよ」  そばで見ていたマスターが耳打ちをする。 「カルーアミルク……ある意味、彼女にぴったりなお酒かもね」 「ぴったり?」  俺は首を傾げた。マスターが小声で告げる。 「カクテル言葉よ」 (カクテル言葉なんてあるのかよ) 「何こそこそしゃべっているの?」 「内緒。男同士の、ね」  マスターは口の前で指を立てた。 「えー、私にも教えてよ」  拗ねる川島をよそに、俺はポケットからスマートフォンを取り出し、カクテル言葉を調べた。 すると、そこには……。 いたずら好き―― 気が付くと、俺はコイツにいつも振り回されっぱなし……何やってんだろうな、本当。 「マスター、俺にもカルーアミルクをくれよ」 「はいはい」  テーブルの上に置かれたグラスを傾ける。中の氷がカランと高い音を立てた。
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