「傾慕。」

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金木犀の花が咲き始めた頃、最近の月彦様は体調が悪そうで、咳き込んでいることが多かった。 顔色も優れずそれを何度指摘しても、大丈夫の一点張り。 仕事の合間に一緒に縁側でお茶をする時間も少なくなり、業務の開始と終了を知らせる時にだけしか顔を合わせないこともあった。 頼って欲しいと思ってはいるけれど、雇われているだけの僕が深入りも出来ずもどかしい。 「月彦様、きちんと食事は取られていますか?」 「取っているよ。どうしてだい?」 「少し、お痩せになったような気がしたので。」 「そんなことないよ。さあ、気を付けてお帰り。」 日が暮れ仕事を終了させると、それを報告し帰宅しようとしている僕を、いつものように正門の前まで見送りに来てくれた月彦様を、改めて見たらどうしても訊ねずにはいられなかった。 少し頬が痩け、身体も薄くなったように感じるのは絶対に気のせいなんかじゃない。 変化に僕が気付かないはずないのに、月彦様は何故そんなことを言うのか分からないといった顔をして首を傾げている。 正直に僕が答えると、笑って否定されてしまった。 そして更に帰るよう言われてしまい、これ以上は留まることも出来ず帰宅するしかなかった。 自宅に着いてからもずっと月彦様のことが気になり、布団には入ったものの深夜になっても眠れずにいた。 目を瞑ったり開けたりを繰り返して、最終的にぼんやりと天井をただ眺めていると、突然電話の音が鳴り響いた。 「..月彦だけど。夜中にすまないね。」 「いえ。どうなさいましたか?」 「伝えないといけないことがあるんだ。」 こんな時間に誰だろう、と不審に感じながらも仕方なく布団を抜け出す。 そして受話器を取ると、電話の主は意外な相手だった。 今までに一度もこんなことはなく驚いたけれど、余程急いでいるのだと思い用件だけを訊ねる。 すると月彦様からは、深刻そうな声が返ってきた。 「..千鶴、君には西園寺家の庭師を辞めてもらう。」 「え、な、何故ですか..?!」 「..っげほ、ごほげほ..!」 続く言葉を待っていると、月彦様は一呼吸間を置いて言い放った。 まさか解雇を言い渡されるとは考えもせず、困惑して声を荒げてしまう。 とにかく理由を聞きたかったけれど、月彦様は何も答えてはくれなかった。 代わりにずっと堪えていたような勢いで咳き込む声が聞こえてきて、それからすぐに電話はガチャリと音を立てて切れてしまった。 「心配、だよ..」 解雇されてしまったということは、月彦様はもう僕の雇い主ではない。 それならただの知人として、西園寺家を訪ねても良いだろうか。 電話が切れる前に聞こえてきた咳は、明らかに異常だった。 押し掛けては迷惑かもしれないけれど、せめて無事を確認させて欲しい。 慌てて軽く髪や服を整え、僕は西園寺家に向かう為に家を飛び出した。
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