シュレーゲル研究公正局長の事故死にまつわる流言を非難する

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シュレーゲル研究公正局長の事故死にまつわる流言を非難する

 あたしはとても悲しい。なにが悲しいって、王立研究公正局の前局長・アデリー・シュレーゲル博士が失火により亡くなられた不幸な事故を、私が敬愛するアダム・グリーンウッド先生による放火殺人だと考えるような人間が本学会内に複数いるらしいことだ。どうやら、シュレーゲル博士が事故死の直前にとある大物研究者の研究不正を告発しようとしていたらしいことが、この根も葉もない疑惑の発端となっているらしい。確かにアダム先生は事件の直後にとある大物研究者の推薦でパーマネント職を得ており、そしてパーマネント職を得るためであればたいていの任期付き研究者は人の一人や二人、いや千人や二千人くらい躊躇無く殺すだろう。加えて、事件の当日、現場付近でアダム先生を見たという証言があることも知っている。しかし、あの日、アダム先生が事件現場にいたはずはないのだ。なにせ事件当日、アダム先生は調査のため、私とともに現場から遠く離れたアオキバハラ樹海に来ていたのだから。推理小説的な言い方をするならば、アダム先生にはアリバイがあるのである。  りっぱなアダム先生が放火殺人などするわけがないと学会員諸氏に分かってもらうためにも、あの日の出来事をここに書き記したいと思う。  バジリスクの野生での生活を明らかにするというのが、あの時の調査の目的だった。バジリスクといえば、一般には一睨みで相手を石にする力を持つ蛇の王というイメージが流布しているが、アオキバハラ樹海に生息する実際のバジリスクはバジリコを主食とするおとなしい草食動物である。確かにその歯には神経毒があり、咬まれるとまるで石になったかのように体が動かなくなるが、咬むのは自らの身に危険が迫った時だけであるし、子供や老人でもなければ死に至るほどのものでもない。  いったいどこから湧いてでたのかも分からないような噂のせいで、バジリスクが危険生物のイメージを持たれ、多くの地域で絶滅に追いやられてしまったことは残念という他は無い。今の私には、根も葉もない噂のせいで傷つけられているアダム先生が、同じく根拠無き噂のせいで駆除されたバジリスク達に重なって見える。  はなしが逸れたが、バジリスクの生態には一つの謎があった。バジリスクは姿形こそ鳥類に似ているものの、外温動物であり、自らの体温で卵を温めることができない。しかしバジリスクの卵は、温めない限り孵化しないのである。バジリスクは神経質な動物であり、飼育下では卵を産んでも放棄してしまうため、どのようにして卵を孵化させているのかを知るためには野生のバジリスクを観察する必要があった。私とアダム先生がわざわざアオキバハラ樹海まで赴いたのは、そのためである。  うれしいことに、その謎の答えは調査開始から間も無く明らかとなった。バジリスクはバジルの葉を巣に敷き詰め、その発酵熱で卵を温めていたのだ。バジリスクがバジルの葉を噛み千切って集める際に付着する口腔内の細菌が、この発酵において重要な役割を果たしていることも分かった。これで、今年は論文を発表できる――そんな喜びが、気の緩みを招いたのかもしれない。  その日、私は幼体が孵化したばかりの巣を離れたところから観察していて、あっと驚いた。生まれた二匹の幼体の体色が、片方は真っ白、もう片方は真っ黒だったのだ。色素欠乏で全身が白くなるアルビノも、逆にメラニン過剰で全身が黒くなるメラニズムも時おり見られる現象ではあるが、同じ巣で生まれた二匹が白と黒というのは、奇跡的な確率である。
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