十一

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十一

 ステージに出ると、観客に拍手で僕たちは迎えられました。  僕たちは客席に向かって一礼すると、あらかじめ決められていたとおり、ステージ上に並んでいたパイプ椅子に座ります。  真ん中に、政子さんが座り、その向かって右側に順番に、すずさん、清水さん、ミコちゃん。左側に僕、マーク、三田さんが座りました。  僕は客席を目を凝らして見てみました。客席は照明が点いていないため真っ暗になっているのですが、ステージから反射するわずかな明かりを頼りにして見てみると、どうやら席の半分くらいは埋まっているようでした。  観客にもマスクを装着している人が多いらしく、暗闇のなかにぼんやりと描かれた顔の輪郭の下半分が、海に浮かぶクラゲのように白く浮き上がっています。  音楽イベントなどでは、政子さんはミキサー室に入って音量調整や照明の操作などをして裏方に徹しているのですが、怪談イベントではそれらの必要性がないため、主催者兼司会者として舞台に立ちます。 「みなさん、こんばんは。当ライブハウスオーナー兼、本日の怪談会主席の椎葉政子です。本日はお越しいただきまことにありがとうございました。二週間前に緊急に開催が決まったにも関わらず、たくさんのお運び、まことに厚く御礼申し上げます」政子さんは椅子に座ったまま、膝頭に手をついてふたたび客席に向かってお辞儀をしました。  そして続けます。 「本日の怪談会の趣旨は、実話であることをテーマにしております。きっと皆さまも、これまでに一度くらいは、理屈に合わない不思議な体験をしたことがあるではと推察いまします。日常生活のすぐ隣に、怪異というものは存在しているのです。本日、ご参加くださった怪談師の方々は、日ごろよりそんな怪異を収集するという、ちょっと変わった趣味をお持ちの皆様です。そして、怪談というのは、その名のとおり怖い話であると同時に、落語や浪曲などに勝るとも劣らない伝統的な話芸であると、わたくしは思っております。ご来場いただいま皆様、ぜひ心の底から震えていただくと同時に、磨き抜かれた怪談師の芸を、お楽しみください」  政子さんは登壇している怪談師をひとりずつ名前を呼んでいきました。名前が呼ばれると、怪談師は椅子から立ち上がって客席に向かって一礼します。 「市内の大学に通う大学生で、うちで主催しているライブに出演したのがきっかけで怪談師としてデビューした、北野三郎くんです」  政子さんは僕のことをそんな風に客席に向かって、紹介しました。  その後は、誰が怪談を話すかを政子さんが指名し、選ばれた怪談師が手持ちのネタから怖い話をしていくという手順になっていたのですが、その日の怪談会は始まる前に少しだけ別の話が挟まることになりました。 「さて、本番に入る前に、ちょっとだけお時間をいただきたいと思います。皆様、世間が今、新型ウイルスのことで大騒ぎになっているのはご存知かと思います。おかげで、うちも予約がだいぶキャンセルになって、困っているところなんですが……。で、今日はせっかく、お医者さんがいらっしゃいますので」そこまで言うと、政子さんは顔を動かして清水さんのほうを見ました。  ポーカーフェイスの清水さんが、やや苦笑します。 「はたしてこのウイルスがどういうものか、簡単に説明していただきたいと思うのですが、いかがでしょうか」  一同の視線が清水さんに注がれました。 「賛成、先生お願いしまーす!」ミコちゃんの高い声がマイクを通していないのにも関わらず、大きく響きました。  おそらく楽屋で政子さんと清水さんが話していたのは、このことをお願いしていたのでしょう。僕も、はたしてこの新型ウイルスがどういうものか、医師にじかに聞いてみたいという気持ちがありました。  ライブハウススタッフの加藤さんがすかさずワイヤレスマイクを持ってステージに上がり、清水さんに手渡します。  ボンッというスイッチの入る音がして、清水さんは「あー、あー」とマークの調子を確かめる声を上げました。 「どうも、ご紹介に預かりました。怪談師で医師の清水礼次郎と申します。市内で病院を経営しております。と言っても、うちの医院はスタッフの数も少ないし、家族経営に毛が生えた程度の、粗末な零細医院なんですが……。私は単なる内科医で、必ずしも感染症の専門というわけではないのですが、せっかく怪談会主席の椎葉さんから機会をいただきましたので、僭越ながら、わたくしのようなものでよければ、解説いたしたいと思います」  肉眼で確認はできなくても、観客の視線が一気に清水さんのほうを向いたのが、僕にはわかりました。 「ただし、あくまでも大前提として、これから話すのはあくまでも私の意見で、ほかの医者が私と同意見であるというわけではない、ということをお断りしておきます。新型の感染症に対して、百人の医者がいてすべて同意見になるなんてことは、ぜったいに有り得ませんから。もちろん私と正反対のことをおっしゃる医者もいることでしょう。よろしいでしょうか?」
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