十六

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十六

 まず、このみっつの話が、僕がその日の怪談会で話した内容になります。果たしてこれらが「怪談」の名にふさわしいものかどうかは、聞いてくださった人の判断を仰ぐよりほかはありません。  さて、その日の怪談会のステージ上では、怪談師による話が三巡し、四巡目に入りました。   同じような手順で、政子さんが指名し、指名された怪談師が話を始めます。  政子さんの司会のよる怪談会は滞りなく進行し、時刻は午後九時二十分を過ぎたころ、とうとう、 「じゃあ、そろそろ最後の話にしましょうか」ということになりました。  最初の清水さんの感染症に関する講義があったせいか、この日は四巡するのがいっぱいいっぱいのようでした。 「それでは、北野三郎くん。最後の話をお願いします」  僕が指名されました。この時点で僕以外の怪談師はみんな四話を話していたため、次に僕が指名されたのは順当でした。  怪談会のトリとなるため、少し長めの話をしようとも思ったのですが、本来は午後九時に終わるはずのイベントで、すでに時間を過ぎているため、短い話をすることにしました。  僕はマイクを持ち、 「それでは、わたくし北野三郎が、最後の話をいたします。よろしくおねがいします」と言いました。  ほかの怪談師の皆さんは、すでに仕事を終えたようなリラックスした表情になっています。最高齢の三田さんは、少し眠たくなっているのか、疲れた表情になっていました。 「これは、人から聞いた話ではなくて、僕が高校生のころに実体験した話なんですが……。最初に申し上げておきますが、特にオチのない話です。僕が怪談師としてこうして舞台に上げてもらえるようになったのは、友人に誘われてこのライブハウスで音楽イベントに出場したのがきっかけですが、僕は高校生のころにもバンドを組んでいたことがあるんですね。そのときも、高校一年のときに同じクラスだった友人に強引に誘われたんですが……。僕はベースをやらされていました。メンバーは、ベースの僕と、ギターの友人、そしてひとつ学年が上だった先輩ふたりが、ボーカルとドラムをやってたんです。で、曲を作ったり、スタジオで演奏したのを動画にとって投稿サイトに投稿したりしてました。それほど音楽が好きだというわけではなかったんですが、止めるきっかけもなかったですから、結局高校三年間、卒業するまで活動しました。高校三年になってからは、ボーカルとドラムの先輩は当然卒業して大学に進学してるんですが、引き続き僕たちとバンド活動していました。で、そのボーカルの先輩なんですが、僕が高校三年の五月だったころに、バイクの中型免許を取ってバイクも買ったんですね。で、まだ高校生だった僕たちに見せびらかしに来るんですよ。そして、バイクの後ろに乗せてもらって、ちょっとどっかにツーリングに行ったりもしました。……本来ならバイクの二人乗りは免許取って一年経たないとやってはいけないんですが、まあ、そこはご愛敬ということで。僕と友人とドラムの先輩のうちの誰かひとりが、休日にバンドの練習をやった後なんかに、バイクに乗せてもらってあっちこっち行ってみるのが習慣みたいになったんですが、ある日、ボーカルの先輩と友人とが、となりの県の某所にある、心霊スポットとして有名な廃病院に行ってみたらしいんですよ。もう営業してない、古い病院ですね。その病院、けっこう有名で、中に入ると、病院の什器や設備なんかそのまんまで廃病院になったらしくて、ベッドとか手術室のメスとか注射器とか、残ってるらしいんです。それだけでも不気味なんですが、なんでそこが心霊スポットになってるかというと、霊の目撃証言が複数あったり、心霊写真が撮れたという話がかなりあったんです。で、先輩と友人がバイクでそこに行って、到着したときは、夏だったから、現地に着いたときにはまだ明るかったらしいです。で、病院は窓ガラスも割れてるし、扉も空きっぱなしになってるし、ふつうに中に入れたみたいです。ウワサ通り、病院のなかは棚とかベッドとかがそのままで、床にカルテが散らばってるような状態だったんですね。……で、一通り見て、特に幽霊なんかが出てくるわけでもなく、そのまま帰ったそうです。その一週間後、今度はボーカルの先輩とドラムの先輩とが、また同じようにしてバイクでそこの病院に行ってみたようです。で、メンバーの中で僕だけが行ってないということになったんですが、先輩もさすがに三回も行くのはめんどくさいということで、連れて行ってくれなかったんですよ。僕は正直言って、ちょっと行ってみたいという気持ちはあったんですけど……。その数週間後のことですが、バイクの持ち主のボーカルの先輩、バイクに乗ってるときに車にぶつけられる事故をしたんです。命に別状はなかったんですが、二か月近く入院することになりました。バイクはひどく故障はしたものの、廃車にはなりませんでした。そしてその数日後ですが、今度はドラムの先輩が、家族の車の後部座席に乗っているときに、交差点で横から思いっきり先輩が乗ってる座席めがけてトラックが飛び出して来たんです。頭を強く打って、一週間くらい意識不明になったそうです。……こう事故が続くと、ひょっとしたら心霊スポットの廃病院に行ったときに、何か悪いものにでも憑かれたんじゃないかというような話になったんですが、ギター担当の僕の友人は、『たまたま、偶然だろう』と全然気にしていませんでした。二週間後のことですが、友人はバイト先だった中華料理屋で油の入った中華鍋をひっくり返して、左腕の上腕部から手の甲までを大やけどする怪我をしたんです。結局、バンドメンバーのうち、無傷なのは僕だけになってしまったんです。ここまで続くと、さすがに偶然で済ませるわけにもいかなくなったのか、ギターの友人は繰り返し僕にこう言ったんです。『きっと、お前の身にも何か悪いことが起こる。神社かどっかにお祓いに行け』と。と言っても、僕はその廃病院には行ってないわけで、祟りか憑き物かは知りませんが、仮にそうだとしても僕に被害が出るいわれはないわけで、もちろんお祓いなどには行かずにそのままにしてたんです。それから三か月くらいしても、僕に身には何もなかったんで、やっぱり肝だめしに行ってない僕は祟られてないんだろうと、そんなことを考えながら、予備校の帰りの午後九時くらいに自転車で走ってたら、いきなり自転車の前輪が何かに乗り上げたのか、ハンドルがぐるっと向きを変えて、そのまま自転車ごと道路の側溝に落ちて、転んだんです。まあ、めちゃくちゃ痛かったですが、腕やひざを擦りむいただけだったんで、特には気にしてなかったんですが、翌朝起きると、どうも左手の手の甲が痛くて、指が動かなかったんです。病院に行くと、骨折してました。まあ僕の怪我はほかのメンバーに比べたらかなり軽いほうだし、たぶん単なる僕の不注意だと思うんですが、果たして、バンドメンバーが次々に事故にあったのは、単なる偶然か、何らかの超自然的な力が働いたのかは、いまだにわかりません。……という話でした。ありがとうございました」  そう言って僕はマイクを持っていた腕を下ろし、頭を下げて座ったままお辞儀をしました。会場から少し間をおいて、パラパラと拍手の音が聞こえてきます。
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