二十三

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二十三

 そんなことを話していると、ワンボックスカーの近くで、マーク、清水さん、政子さんの三人が、何人かに囲まれて何かをしゃべっているのに気づきました。何を言っているかは離れているのでわかりませんでしたが、どうやら平穏な様子ではないことは遠目にもわかりました。  僕とすずさんは、残りのコーヒー飲んで缶をゴミ箱に捨てると、ワンボックスカーに駆け寄りました。  近寄ると、 「とにかくお前ら、次のインターで降りてすぐに引き返せよ」  とマスクをしている短髪の五十代の男がそんなことを言ってるのが聞こえてきました。 「いったい、どうしたんですか?」僕が政子さんに聞くと、短髪の男が、 「なんだお前は。こいつらの仲間か?」と無礼な口調で言いました。 「そうですけど、あなたこそなんですか。僕たちが何か悪いことでもしたって言うんですか?」 「当たり前じゃねーか。お前らバカか!」短髪の男のすぐ後ろにいる、三十代くらいの男が言いました。この男もマスクをしています。  その言いぐさには僕もさすがに腹が立ち、 「あんたらのほうがおかしいんじゃねーか。うざいからどっか行け」と言いました。 「なに!」短髪の男は僕につかみかかって来ましたが、後ろから三十代の男がそれを止めました。  政子さんがため息をつきながら、 「どうやら、わたしたちが県外から来たのが気に入らないんですって」と僕に説明するように言いました。  僕はそれを聞いてもさっぱり意味がわからなかったのですが、三十代の男が政子さんのワンボックスカーのナンバープレートを指さして、 「あんたら、県外なんだろ? 今がどういう時期だかわかってるの?」と言いました。 「どういうことですか?」 「政府から自粛要請が出てるの、あんたらだって知ってるだろ。世界中がたいへんなときなのに、旅行に行くなんてちょっと自覚が足りないんじゃないの、って言ってるんだよ」  それを聞いて僕はようやく、僕たちが自粛要請に従わずに県境をまたいだことを非難しているのだいうことを理解しました。  マークの顔を見てみると、「呆れた」という声が聞こえてきそうな表情をしています。 「あなたたちだって、外出してるのは一緒でしょう」と清水さんが言いました。  それに五十代の男が、 「俺たちはちゃんとマスクしてるし、県内で遊んでるから問題ないだろう。お前たちとは違うんだよ」そう言いました。  それにはさすがに清水さんも手のひらで自分の額を押さえて、ため息を吐きました。 「ウイルスに県境なんか関係ないでしょう。『県境を超えなけりゃ大丈夫だ』なんて、本気で思ってるんですか?」僕が清水さんの代わりにそう言いました。 「屁理屈言うな! 政府が県をまたぐ移動はするなって言ってるんだよ。いいかげんにしないと、警察呼ぶぞ」 「呼びたいなら、呼べばいいじゃないですか。政府の要請には法的拘束力はありません。むしろあなたがたが強要罪に問われる可能性がありますよ。どうぞ、呼んでください」清水さんが言いました。  すると五十代の男が、一歩前に出てきて、次のように言いました。 「お前らバカじゃねーの。お前ら本当に日本人か? 日本人なら、こういうときは社会のために大人しく自分を犠牲にするもんなんだよ」  それを聞いたマークが、いわゆるFワードの混じった英語を口にし、五十代の男の胸倉をつかみました。  僕と清水さんが、マークを後ろから抱えるようにして引き離しました。 「落ち着け、落ち着けって」と僕が言いました。  マークは息を荒くしながらも、とりあえず攻撃する意思はいったん収めたようでした。  しかし、僕も含めて相手に対する怒りが抑えきれないほどに次々と湧いてきます。このままここで喧嘩が始まるんじゃないかと我ながら思ったほどです。 「わかりました。次のインターで降りて引き返します。それでいいんですね?」唐突に政子さんがいいました。  政子さんは視線を動かして、僕たちに目で何やら合図をしました。どうやら、相手の要求を受け入れたふりだけしようということらしいと、察することができました。 「行きましょう」と政子さんが言い、運転席に乗り込みます。  僕はこの絡んできた男たちの言い分が通ったと思わせることも腹立たしかったんですが、まともに言葉が通じる相手でもなさそうだったので、政子さんに続いてワンボックスカーの後部座席に乗り込みました。ミコちゃんはすでに車に乗っていて、絡んできた男たちに怯えるようにして縮こまっていました。  再出発したパーキングエリアを出た車のなかで、しばらく沈んだ雰囲気だったので、 「何なんですかね、あいつら。頭おかしいんじゃないか」と僕が言いました。 「もう完全に頭の中がウイルスに占領されてるね。インフォデミック、なんて言うんですけどね」と応えるように清水さんが言います。 「インフォデミック?」すずさんとミコちゃんが同時に声を上げました。 「インフォメーションつまり情報と、感染症の流行を意味するエピデミックを合わせた造語なんですよ。簡単に言うと、デマが感染症のように広まって、社会にパニックを引き起こすこと。つい先月、トイレットペーパーが一気に品切れを起こしたことなんかが、その代表例でしょうけど、さっきの連中もインフォデミックの患者でしょうね。正確でない情報を真に受けて、わけのわからない行動をしているんだから」 「なるほどねぇ」政子さんが言いました。 「連中のうちの一人が、手にオペラグラスを持っていたの、気づきました?」誰に問うともなく清水さんが言います。 「いえ、全然気づきませんでしたけど……、それがどうかしたんですか?」と、僕。 「今の男たち、全員一台の車から降りて来たんですよ。ちょっと離れたところに停まっていた白のバンでしたけど。一人がオペラグラスでこっちのほうを見ながら、近寄ってきたんです」  僕たちは清水さんの言いたいことがよく理解できず、クエスチョンマークが頭の上に浮かんできそうでした。 「つまりあの人たち、ずっとあそこのパーキングエリアで待機してて、やって来る車のナンバーを確認してたんですよ。で、県外ナンバーだったら、ああやって絡んでたんでしょう。今もたぶん同じところにとどまって、監視してるはずですよ」  僕は清水さんのその観察眼にも驚きましたが、そこまで努力して県外ナンバーを追い返そうとするあの男たちのボランティア精神に、呆れるを通り越して尊敬の念すら抱きそうになりました。  まさに、先ほど清水さんが解説してくれたように、インフォデミックが社会を覆っているようでした。
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