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四
二月半ばのある日、僕の携帯電話に一件の電話がかかってきました。
「三郎くん、ひさしぶり。いまちょっといい?」
そう言ったのは、市内繁華街のはずれにあるライブハウス兼小劇場「ボーンハウス」のオーナーの、椎葉政子さんでした。
「あ、おひさしぶりです。いいですよ。どうしたんですか?」
「えっとね、今月末の二十九日に怪談会やろうと思うんだけど、出演してくれない?」政子さんはそう言いました。
これには少し説明を要すると思います。
まずは、椎葉政子さんについて説明します。
が、当然のこととして、彼女の本名を記すことはプライバシーの侵害となりますので、「椎葉政子」という名前は僕が捏造した仮名ということになります。さきほどの「ボーンハウス」というライブハウスの名前も、架空のものです。
政子さんは今年三十五歳。出身はこの市内で、高校卒業後に東京の専門学校に通いながら小さな劇団員として活動していたそうです。専門学校卒業後には、そこそこ大きな芸能事務所に所属し、プロの俳優として活動。舞台やテレビドラマ、映画にも出演したことがあるようです。
三〇歳のときに東京で知り合った同郷の男性と結婚し、それを機に所属事務所を退所して俳優業は引退。配偶者とともに帰郷。
しかし、間もなく離婚。一人になると、やはり芝居をやりたいという思いが強くなり、故郷で仲間を集めて劇団を結成し活動を再開。地方では上演する場所がなかなかないため、いっそのこと自分で活動できるハコを作ってしまえということで、開業したのがライブハウス兼小劇場の「ボーンハウス」でした。
しかしもちろん自前の劇団だけを毎日上演するわけにもいかないため、普段はライブ会場として貸し出ししたりイベントを主催したりしていたのです。
一昨年の梅雨の時期、ボーンハウスでは地元の大学生を対象にした音楽イベントが開催されました。
僕はそのイベントに、大学の友人に強引に誘われて出演することになったのです。
僕は小学生のころから両親にピアノを習いに行かされていて、高校生のころには同級生とバンドを組みベースを担当していたことがあったため、技術的に問題はなかったのですが、とにかく出たがりで承認欲求が強い友人のため、僕がキーボードを担当、友人がヴォーカルを担当するという即興のデュオを結成し、出場することになりました。イベント開始まではあまり時間がなかったのですが、僕が何とか三曲だけ作曲し、友人が歌詞をつけてな即席物ではあったもののなんとか形は仕上がりした。
ステージ上で、僕たちに与えられた持ち時間は二〇分でした。僕が作った曲は三つ合計で十四分ほどしかなかったので、当然持ち時間は五分ほど余ります。
その余った時間は、二曲目が終わった直後に友人のMCで埋めるということになっていたのですが、素人がまったく見ず知らずの人を前にして五分以上をしゃべり続けるというのは、歌を歌うよりもはるかに緊張し、想像を絶するほどに難しいものでした。友人は何を言っていいかわからず、ただモゴモゴと意味不明のことを繰り返すばかりでした。
なので、僕が途中でマイクを引き取り、先日某SNS経由で仕入れた怪談を話してみました。キーボードとヴォーカルだけの曲の合間に怪談というのは、ずいぶん場違いではありましたが、何もしゃべらずにあたふたしてるよりはだいぶマシでした。
そのとき僕の話した怪談の内容というのは、『夜中とある大学の最上階の空きになっている研究室の窓際に、毎日女の人が立っている姿が見える、階段を登ってその研究室に行っても誰もいない、昔そこで自殺した人なんかいないし、過去に幽霊が出るようなことはなかったはず。いつのまにかその研究室が大学の中の心霊スポットのような扱いになり、肝だめしに使われるようになった。ある日、複数人のグループがふざけ半分で夜中にその研究室に行くと、意思に反して身体が勝手に窓際のほうに吸い込まれるように動いていき、窓の外には不気味にほほ笑む女の姿浮かんでいて手招きをしていた。大声で叫ぶとようやく身体が自由を取り戻し、もつれる脚で研究室から逃げ出した』およそこんなものでした。
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