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 苦し紛れの怪談を挟んで、なんとか無事に出番が終わり、ステージのちょうど真後ろにある楽屋に戻ると、僕たちを待っていたのがライブハウスオーナーの政子さんでした。  政子さんは僕の作った曲のことはまったく触れず、 「あなた、怪談好きなの?」と僕に言ってきました。 「ええ、まあ」と答えたような記憶があります。  余談ながら、僕は長男の一人っ子なのに「北野三郎」というおよそ長男らしくない古風な名前なのは、理由があります。実は僕が生まれるとき、僕は――というか僕たちは、双子のはずだったのですが、僕の弟にあたる男の子の赤ちゃんは、生後間もなく亡くなったそうです。  両親は事前にエコー検査で産まれてくるのが双子の男の子であることを知っており、「双子だとどっちが兄か弟か、第三者にも簡単に見分けがつくような名前にしよう」とふたりで相談して決めており、長男を一郎、次男を二郎という古風な名前にしようとしていたようです。  しかし、僕の弟で、本来は二郎と名前を付けられるべき子供が亡くなってしまったため、僕にはふたりぶんの生命が宿っているということで、「三郎」と名付けたようです。   ふたりの双子のうち、どちらかが死ぬ運命だとして、なぜ僕が生きて弟は死んだのだろうか。子供のころから僕は、そんなことをたびたび考えていました。  僕の生まれにそんな経緯があったせいか、僕は超自然的な何かに対する畏敬の念を常に感じており、特に幽霊などが出てくる話に関しては、怖いと思いながらもどこか親近感を持っていて、実話怪談の文庫本をよく買って読んでいたり、自分で少しずつではあっても心霊現象などを体験したことのある人の話を、SNS経由あるいはリアルの場でも収集しているのでした。  政子さんに「怪談は好きか?」と聞かれ、否定する理由はありませんでした。 「ええ、まあ」そう答えた僕に、政子さんは、 「持ちネタ、たくさんあるの?」と訊いてきました。 「えっと……、たくさんってほどではないですけど、まあそれなりには有ります」  僕はそのときはじめて、政子さんの姿かたちをじっくりと見たような気がします。  女優さんをやっていたというだけあって、顔立ちはまるで白亜の彫刻のように整っていて、黒いロングヘアーを無造作に肩のうしろに伸ばしています。身長は百五十センチくらいで少し低めですが、美人の後光がさしているのか、実際よりも大きく見えていました。 「もしよかったら、来月うちで怪談会やるんだけど、あなたも語り手として出演してみない?」  いきなりそんなことを提案され、僕は理解が追い付かず、少し戸惑ってしまいました。 「怪談会?」 「そう。文字通り、ステージに上がって怪談を話すのよ」 「それって……、観客として僕が見に来るんじゃなくて、僕が出演者側になるってことですか?」 「うん、そう。ダメ?」 「興味ないことはないですが……」 「この小屋を開業したときから、私の趣味もあって七月八月に何回か怪談会を開いてるんだけど、なかなか怪談を語れる怪談師が近場には少ないのよ」  話芸としての怪談を語ることを仕事にしている人を、怪談師と言います。あまり一般的には馴染みのない職業でしょうが、雑誌やインターネット上の媒体に記事を書いたり、怪談イベントを開催したり、ときにはテレビに出演したりと、意外に怪談師の活躍の場は多いのです。  しかし専業の怪談師としてメシを食える人など、誰もが名前を知っているごく一握りに限られ、ほとんどがほかに職業を持ちながら副業や趣味として怪談師をやっている人ばかりです。  政子さんは続けました。 「出演者はよその県とか、ときどきは東京から来てもらったりしてるんだけど、出演料の上に交通費や宿泊費を支払ったら、赤字になっちゃってね。そもそも怪談会なんて、観客はせいぜい百人くらいしか集まらないから。だから、近くに住む新人の怪談師をちょうど探してたところなのよ。どう?」  いきなりの提案なので僕が何と答えていいかわからず黙っていると、政子さんは僕にカラフルなイラストが付いている名刺を手渡し、 「もし出てくれるなら、連絡してね」そう言ってライブハウスのミキサー室に入っていきました。  のちに知ることになるのですが、政子さんは役者をやっていたころに、テレビドラマの女の幽霊役の仕事を受けることがあり、役作りのために怪談本やホラー映画などを見ているうちに、その面白さにハマって、自分のハコを持ったのをきかっけに怪談イベントを主催するようになった、ということでした。  もちろん僕はそのイベントに出演し、大学生をやりながらアマチュアの怪談師の端くれとして活動することになったのでした。
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