25人が本棚に入れています
本棚に追加
六
話を戻します。
二〇二〇年の二月に政子さんから、「今月末の二十九日に怪談会やろうと思うんだけど、出演してくれない?」と依頼され、僕に断る理由はなかったのですが、少し違和感を感じました。
僕はこのように応えました。
「ええ、大丈夫ですけど。こんな時期に怪談会するんですか?」
政子さんのボーンハウスで開催される怪談会に限りませんが、怪談のシーズンと言えば夏です。怪談会は七月八月に開催されることが多く、ときどき真冬の十二月などにさらに寒さを求めて開催されることがあったりもしますが、春先や秋口は閑散期と言ってもいい時期でした。
「それがね……」そんな前置きをしながら、政子さんはおおよそ次のような説明をしてくれました。
二月初旬から国内でも感染者が出るようになった新型ウイルスのせいで、埋まっていたライブハウスの予約は次々とキャンセルされている。このご時世に営業を掛けてもハコを借りてくれるイベンターが現れてくるとは思えず、売り上げを上げるためには自分でイベントを開催するしかない。政子さんが主宰している劇団「骨骨座」の公演をやってもいいが、毎日やったとしても観客が入ってくるのは見込めない。だから少しでも稼ぐために、時期外れでも自主開催のイベントとして怪談会をやろうかと思っている。
具体的に金額を聞いたことはないですが、政子さんはライブハウスを始めるのに、少なくない額の借金をしたはずで、その返済は当然まだ続いているはずです。またライブハウスではふたりのスタッフを雇用しており、政子さんは彼らの給料も支払わなければならない立場です。
とにかく、何をやってでも一円でも稼がなければならない、電話で話を聞きながら、そんな気迫のようなものを感じました。
政子さんに限らないのかもしれませんが、新型ウイルスは人々の健康よりも先に富を奪っていたのです。
大学の後期の授業はすでに終わっていて、春休みに入っていたため、僕はふたつ返事でうるう年の二〇二〇年二月二十九日に開催される怪談会の出場を引き受けました。
関西某所のライブハウスで集団感染が発生し、ライブハウスという業態がさらに苦境に立たされるのは、これより後のことでした。
最初のコメントを投稿しよう!