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僕の中に関西人のおっさんが住んでいる
「アガガッ!!」
それはある日曜日の朝、いつもより少し早い目覚めと共に、それは突然始まっていた。
「アガガガガッ!!」
まるで顎が外れそうになり、何とも言い難い声にならぬ声を発する。否、これは外れそうではない。外れたのだ。朝、現在の時刻は……。などと、そんな悠長な時間など全くない今この状況。渾身の力を込めて、僕は自分の顎に向けて掌底を繰り出した。
「んがんん!!」喉を鳴らした。
その瞬間、僕の顎は定位置と少しずれた位置に収まり、横から見れば三日月顔だろうものが出来上がった。
【おいおい!そらっ痛いやろ!】
僕の頭の中に突然、おっさんらしき関西弁の声。
その声は、自分が言った声にも思えたが、全く違うおそらく50代であろうおっさんの声。僕は、まだ大学生で声に張りがあるのに、この声は、明らかに嗄れたおっさんの声だった。
その上、僕が思ったのならば、『あぁ!!痛い!痛いよ!』と標準語タイプ。だが、この声は、関西弁なのだ。
これが、僕と名もなき声関西人のおっさんとの出会いの時だった。誰かわからぬ、名もなき声。しかも関西人のおっさんだ。
三日月型の飛び出した顎をもう一発、掌底を自分の顎に食らわし、僕は再び喉を鳴らした。
「んがんん!!」
何とか元の位置に戻った顎だったが、僕の中の疑問は拭えない。早速スマホで《頭の中の声》とググった。すると出てくる言葉には病名がつき、色んな情報が一気に現れる。ほとんどそれは現代では珍しくもないストレス社会と重なる病名がつけられていた。
自律神経失調症、統合失調症、パニック障害、PTSD、心的害ストレス障害など……。全てが心身的病名がつくなんとやら……。訳が分からず、僕は怖くなり検索するのを辞めた。病気なのか?その瞬間……。
【ちゃうってぇ!お前病気ちゃうで?】
又だ!思わず耳を塞いだが、その声は続けて僕に投げかける。
【これからは俺がお前を導くで?】
「ひいいいいいいいいー!!」
今度は本当に声を挙げた。隣の部屋にいた3歳離れた妹の彩(さやか)が僕の部屋に飛び込んでくる。
「何?お兄ちゃん、また虫にビビったん?」
眠気まなこでトボけた声、頭を掻きながら、現れた彩は、落ち着いた様子で僕の顔を見た。
「何声張り上げてんの?弱虫やなぁ?朝からうっさいで?」
「ちがうって!……頭の中で声がした!」
「ハァ?大丈夫?ホンマお兄ちゃんって変わってるとこあったけどやぁ、ホンマ頭イワシたん?」
「だって、頭の中で関西弁がしたの!」
「あ?関西弁って、あたしら関西人やん!」
「そらそうだけど……」
「使いたくないのは、お兄ちゃんだけやろ?アホみたいに標準語で無理クリしゃべるんやから……。
「うぐぐぐっぐぅ」
「幾らお兄ちゃんの父親が東京の人やからって、いい加減慣れたら?」
「慣れてるし」
「慣れてへんって!母さんたち再婚したんて、何年も前やろ?」
「そうだ」
「大阪に住んで、もう5年やろ?関西人嫌いなんはエエけど、お兄ちゃんも関西人ちゃうん?」
「……」
「虫嫌い、弱虫お兄ちゃんにも飽き飽きやわ」
【お前の妹、なかなか可愛いやん!】
そう言われて僕は何も言い返すことが出来ない自分に腹立たしさを憶える。いや、頭の中の声だけではない。妹に対して、反論も出来ないのだ。それにしても頭の声が気になり、妹の彩に問いただしたところで、手を挙げ知らんぷりされるばかりだった。だから僕は日曜日でも、病院に行くべきか悩み、キッチンの換気扇の前でモクモクと煙を出しタバコを吸っている親父に相談を持ちかけることにした。
「あーん?声?」
面倒くさそうに対応する父親。偶々だろうと僕の言葉にも耳を傾けずスポーツ新聞のエロ紙面に目をやる馬鹿親父。そんな親父に愛想をつかし、玄関先で愛犬の大吾に餌をやっているだろうと外に出ると、母親が近所の人と大吾の世話をしながら話していた。
「あら?今日は珍しい孝之。どうしたん?朝早くに」
「母さん、俺、病気か?」
そう促した近所の人と母親は、大笑いで切り返した。
【お前の母ちゃんも中々美人やん?】
『やめてくれ!』
母親に対する感情の違いが、自分の中で起こっていることで驚愕した。だが、近所のおばさんを見た瞬間、何かを感じるとることが出来た。だがそれは一瞬の出来事で何か分からずに僕は足元に違和感をおぼえた。
【ヤバイ!あかんで!戦闘力が違いすぎる!避けろ!】
言葉が頭を過る。気が遠くなり倒れそうなった。と言うよりも、その声の瞬間だ。青空が見えて、ドンッと大きな音と共に崩れ去り、目の前は真っ黒になった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
僕の名は、山本孝之。とある俳優とよく似た名前だけど、あんなに濃い顔でも毛深い訳でもないし、イケメンでもない。どこにでもいる普通の学生だ。平日の昼間は、普通に専門学校に通い、声優とナレーションを勉強をするための、アニメーションスクールに通っている。授業の後は、駅前のファミレスでバイト漬けの日々を送っている単なる学生な僕。
学校でも何一つ冴えることなく、周りに完全に溶け込み、居るか居ないか微妙なラインを辿っている。ファミレスのバイトでも存在感はほとんど無く、いつも正社員やパートの陰で、ひっそりと穏やかに働いているのだ。
だけど、そんな僕にも夢がある。ここは大阪だけど、将来は声優として、アニメや吹き替え、ナレーションなどを中心に活動できるようにと、今必死で勉強中の身なのだ。だから、大阪に来た時も、僕は関西弁を憶えることを辞めた。本来は話せるし、普通にしていたら、多分混じり合い溶け込むだろう。だけど、僕の夢は声優として、活躍すること。それを念頭において、僕はあえて関西弁では話さない。だけど、関西人として浮かないようには努力もしているつもりだ。
だけど、妹曰く、単なるカッコつけ、弱虫兄貴の癖に、見掛け倒しなどと言われる始末なのだ。
そんな僕だが、憧れの声優陣と呼べる人たちがいる。勇者ダムダムで主人公のタムラを演じていた古谷アムロさん。その敵役のイケメン仮面役の池村秀逸さん。そしてラーラ役の井上陽菜さんには、昔から憧れ、声優を目指す事になった。そんな僕が、一生懸命関西弁を隠し、話してこなかったプロ意識の高い中で、関西弁のおっさんが突然現れたのだ。
屈辱的見解。どうにかしてこれを撃退するべく僕は今、考えている。否、今この状況は暗闇の中だ。そうなのだ。たしか……。近所のおばさんを見た直後にだ……。
そんな風に考えて思っている時だった。頭の中に急にあの関西人のおっさんが現れたのだ。
【必死に考えんのエエけど、お前気絶してんの判ってる?】
「……」
【動かれへんって】
「……」
【そやかて、これ金縛りの術やで?】
「……」
【お前を今、全て改造した。これからは、俺がお前の主人やで】
薄っすらと何か声が聞こえ、その声が遠くへ行くようにも思えた。
『誰?誰の声?関西弁……』
目を開けると白い壁に見知らぬ場所のベッドの上。一瞬で何処かとわかった。どうやら病院だ。
「あっ!動いた!お父さん、お母さん!」妹の彩が手招きで、親父と母親を読んでいる。
「大丈夫?孝之!?」
「どれ?お目覚めかな?」
母の声と混じり、おっさんの声。白衣を着た先生が顔を覗かせ診察をする。
「脈拍、瞳孔、心拍ともに問題無しだな」
「ありがとうございます」母と父が白衣のおっさん先生に会釈した。
「孝之!あんた大変やってんからね?わかってんの?」
「あっ、あぁ、ごめん」
「本当にこの子ったら…」
「じゃあ、山本君、気持ち落ち着いたら、帰っていいから!」
「あっ?え?」
「あぁ、単なる過労な?心配いらんわ。一日寝たんやし大丈夫!」
「えっ?」
「何お兄ちゃん、今日、月曜日ってことわかってるん?」
「月曜?」
「そうや、あんた、一日うなされとったんや!もう大丈夫言うし、ちょっとゆっくりしたら帰っておいで」
「じゃあ、私は戻るから、何かあったら看護師に言いや?」
「はっ……はい……」
僕は一日も寝ていたと気付いた時、呆気にとられ気の抜けた返事をしていた。
「さぁ、山本さん、もう少し寝ましょうか?」
【オイッ!この看護婦お盛んやノウ!寝ましょうか?やって】
僕は頭の中でその言葉が流れた時、看護師に向けて大きく目を見開いた。
「どうしたんですか?びっくりしたような顔で?」
「あっいえ……」
【この看護師は大丈夫や、戦闘力ないで】
『嘘や……』思わず関西弁で思った。
偶々、偶然に聞こえたと感じていたおっさんの声が明らかに聞こえた時、僕はまた堕ちるように眠りに就いた。
◆◇◆◇◆◇
この関西弁のおっさんが僕の頭の中に出現してからというものロクな事がないと今更ながらに気づいた。この1日、否、この2日か。頭の中のおっさんのせいで僕は僕じゃないことに気づいた。女性軽蔑とも思えるこのおっさんの言葉。いくら僕の頭の中だけしか聞こえないからといって、これは明らかに脳内セクハラだ。そう思った僕は、おっさんを撃退すべく今眠っているであろうおっさんを起こすため、脳内に向けて声を張り上げるように念じた。
『おっさんはよ出て行けや!はよう出て行け!』
と繰り返す言葉におっさんは言い返してくる。
【お前、いつから関西弁になったんや?俺に感化されてんちゃうか】
ぐうの音も出ないとはこのことだった。これまで必死で自分の未来のためと思い封印してきた関西弁がこのおっさん出現のせいでしゃべり始めだしたからだ。
「くそっ!」
思わず目を開けて声をあげた。すると看護師がおもむろに近づいてきて声をかける。
「山本さんどうされましたか?」
【あかん!目を瞑れ!さっきとは違う戦闘力あるぞ、この看護師!】
何かと言えば戦闘力などと、と思っていると急に体の硬直が始まった。それに自分自身に驚き、一瞬目を閉じた。すると……。
【そ、それでええ!そうしとけば相手の戦闘力は見なくて済む!】
なんのことかさっぱりだったが、おっさんの言われる通りに目を瞑る。すると看護師が「あらあら、寝たふりですか?クソがどうのってなんですか?」
【やめとけ!対話するなよ。こいつの戦闘力半端ないぞ!お前やられる!】
何かといえば戦闘力などといういうので、どういう意味かと思い目を開けた。するとあることに気づいた。その看護師の顔面は、とてもじゃないが僕でもわかるぐらいに平面お亀のブサイク看護師女性、否、口厚の平目の豚鼻で口ひげがよく似合いそうな顔つき。まるで男かとも思えるそのおたふく顔に思わずビックリして、目を瞑った。それでなんとなくわかった気がした。
『頭の中の関西人のおっさんは女性を美とし、その美はおっさん好みでなければ戦闘力が高いと言う設定なのだと』
【あれ?バレた?そうやで?】
『そうなんかい!!アホやこのおっさん!』
そう思った瞬間だった。
【アホはお前や!戦闘力に負けてるお前こそ、女性を顔で判断しとるやんけ!】
『あっ……そうか。このおっさんが出現してからちゅうもんは、俺は女性を顔で判断してるんや。そうかそれで気に入らん女性がおったら倒れるようになってしもうたんか』
【そうやで?今、お前全て関西人になったな?なったよな?良かったな!ほな俺はもうオサラバや!バイバイなあ!】
このおっさんが出現してから僕は身も心も真の関西人へと変貌した瞬間だった。
了
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