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目が覚めると、僕は暗い自分の部屋にいた。
まだ夜明け前のようだ。ベッドにはびっしょりと汗をかいていて、喉からはヒューヒューと掠れた息だけが漏れていく。身体を揺するが、汗を吸ったシーツが重くてなかなか退けてくれない。
机の上には、昨日使ったばかりの包丁があった。
何でこのタイミングで……………
よりにもよって、最悪なタイミングで夏芽の夢を見たと思った。
✴︎
僕は純粋だった。
夏芽はもっと純粋だった。
世の中の理不尽とか、許せない悪とか、そういったものを飲みくだせれば幸せになれる。
そんな綺麗事はどこにもなかった。
純粋に生きていた夏芽はどうなった?
あんなに綺麗だった夏芽はどうなった?
泡を吹いて痩せ細って首が折れて死ぬのが純粋な最期なら、世界はどうかしていると思った。
だから全員殺した。
奴らは驚いたことに『春咲夏芽』の名すら覚えていなかった。
でも、よく考えればそれも当然だった。
僕は奴らの名前を覚えていたし、個人情報も突き止めて奴らを殺しに行ったけれど、殺し終えて夏芽の夢を見たら、すっかりそんなものは忘れてしまっていた。
あんなに憎んでいたのに。
その直後、朝陽が昇った。
目が痛くなるくらい眩しい朝陽だった。
カーテンを開けると光が差し込んでくる。
僕は夢の中の夏芽の声を反芻した。
手には包丁がある。返り血がまだ残っていた。
目には朝陽が映る。鮮やかな光が街を染める。
胸には夏芽がいる。迎えにきてよ♫と笑った。
この世界に僕だけが取り残されていた。
いつ以来だろうか、思い出せないほど久しぶりに、僕は泣いた。
涙はどうしても止まらなくて、止められなくて、仕方がなかったので、泣き止んだら死のうと思った。
手から包丁が滑り落ちた。乾いた音がした。
フローリングは綺麗なままだったけれど、それを覆う白いカーペットだけが汚れてしまった。
『泣き止んだら死ぬんだ』そう心に決めてカーペットの汚れを拭うと、涙は余計に止まらなくなった。
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