迎えにきてよ

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それから、夏芽からの電話は来なくなった。 当然だ。だって精神病院には携帯なんて持ち込めないし、たぶんWi-Fiとかも通っていない。 代わりに、毎日手紙が届くようになった。 『ねえお兄ちゃん、迎えにきてよ』 一文だけの手紙が、毎日、毎日。 決まって夕方に届けられた。 それはいつも、白地に赤いラインの入った同じ便箋に入れられていて、同じような筆圧で、同じように縦書きで一行書いてあった。 精神を病んだ人は字を丁寧に書くことができなくなる場合があるらしい。 僕は夏芽の字が整っていることを確認して、毎日ほっとしていた。 僕は毎日手紙を開くと、その事実にほっとして、手紙を引き出しにしまった。引き出しを閉めるたびに僕は思った。 「夏芽の笑顔を見て笑っていた僕と、今の僕は何が違うのだろう?」 全然違う。 そう叫ぶ内なる僕がいたが、僕はそいつを変な奴だと思った。 ✴︎ 事件から2年が経って、夏芽が死んだと連絡があった。 夏芽は窓の鉄格子に布団のシーツを結び、器用に首を吊っていたらしい。いつでもそうだ、夏芽は器用で賢い子だった。 その連絡は手紙で来た。 夏芽が毎日送ってきた『迎えにきてよ』と同じ時間に届けられて、同時にポストに入っていた。 僕は特に何も考えずに「夏芽が死んだ」と伝え手紙が入っている方の封筒を先に開封したので、その後に『迎えにきてよ』という文面を読むことになってしまった。 僕は父と母にそれを告げて、僕だけが精神病院の方に出向いた。 両親は泣いていた。僕は泣けなかった。 指定された時間に病院に到着すると、医師らしき人が出迎えてくれた。 「ずっと面会謝絶だったくせに、死んだら会わせてくれるんですね」 医師にそう言ってやりたかったけれど、精神病院で面会が断られることは普通のことなので、僕は何も言えなかった。 医師は夏芽が死んだ時間や、生前の様子などを真摯に語ってくれた。夏芽が毎日書いていた手紙のことは言わなかった。 僕に気を遣ってくれたのかもしれない。 夏芽が死んだ時間は夕方から夜になるくらいの微妙な時間帯だった。 それは僕が夏芽を迎えに行くのが遅くなり 『もう!遅いんじゃない?お兄ちゃん♩』と責められた時の時間でもあり、夏芽が襲われた時間でもあった。 「もういいです」 僕は医師の話を途中で遮り、夏芽の亡骸を見せてもらった。 医師は止めたけれど、僕が強く希望すると医師も折れたらしい。 夏芽は棺桶の中で綺麗な顔をしていた。 首だけが変な方向を向いていた。 全身は痩せ細り、ところどころ肌はくすんでいたが、概ね白くて綺麗な肌を留めていた。 右手の平にはペンだこが見えた。 毎日一行の手紙を書くだけでペンだこなんて出来るはずがないと、僕は思った。 でも僕がそこから何かを推察することは、どうしてもできなかった。
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