第98話

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第98話

「修正できないのよ、もう。だから別れて。仕事に戻らなきゃ」 「……さっきの男のところにいくのか?」 「だから、ただの取引相手だってば!」  泣きそうになってしまったところで「すみません」と声をかけられた。見ると、直登の後ろには博嗣が立っている。みちるがぽかんとしていると、博嗣は片眉をちょっとだけ上げた。 「今村さん、お忘れ物を届けに来ましたが……お取込み中ですか?」  博嗣は営業スマイルを崩さず、直登の横から回り込んでくる。資料を渡しながら、うまい具合に直登の手をどけてくれた。  急に血の巡りが良くなった二の腕が痛みだす。さりげなく間に入りながら、博嗣はじっとみちるを見つめてきた。 「すみません、わざわざ届けてもらって」 「いえ、ちょうど仕事先を出るところでしたので。ところで、今日お話ししていた新作の商品がちょうど埠頭に届いたみたいなんです。これからほかのマネージャーたちと見に行くんですが、今村さんも一緒にどうですか?」  みちるは瞬きを繰り返した。すかさず博嗣が話を合わせてというように視線を送ってくる。 「これ以上そこに車を置いておくと駐禁とられちゃうんで……もう、行きますけど」 「行きます。ディスプレイの参考になるので」 「ではもう船がついているみたいですから急ぎましょう」  博嗣が差し出した手を取ると、みちるは一歩前に踏み出した。いきなり現れた博嗣に、直登は不信感満載の視線を向ける。 「おい、みちる。まだ話は終わってないぞ」  博嗣はそんな直登に一歩も引かず、にこやかな笑みを崩さなかった。 「仕事の邪魔をする男は嫌われますよ。もう、遅いみたいですけどね」 「なんだと?」 「もう警察呼んでありますので。ほら」  博嗣の視線の先には、警察官が二人きょろきょろしながらこっちに向かってくる。とたん、直登の顔から血の気が引いた。 「お前……!」 「女性に暴力をふるっている人がいる……事実ですよね?」 「殴ってないだろ!」 「精神的に追い詰めることも、言葉も、十分暴力になりますよ」  直登は「くそっ!」とこぶしを自分の脚に打ち付けると、忌々しそうにした。 「二度と今村さんの前に現れないでくださいね、元カレさん」  言われなくとも、と言いながら直登は警察官たちとは反対の方向に早足で去っていく。 「行こう、みちる。今のうちに」 「あれ、でも警察は……」 「嘘に決まってる。ちょうど向こうから歩いてきたから、はったりに使わせてもらっただけ」  手を引かれて、みちるはガードレールの間から車道に出る。ハザードを点けて停めていた車に案内され、助手席に誘導される。 「じゃあ、ちょっとだけドライブに行きますか」 「待って、大橋さん」  みちるの制止も聞かず、博嗣はアクセルを踏んだ。
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