第9話

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第9話

「申し訳なく思ってくれたから、こうしてドーナッツを買って来てくれたんでしょう?」 「ごめんなさい」 「いいよ、俺そもそも怒っていないし」  良かったとみちるは息を吐いた。最近の若い子をなめてはいけないな、と肝に銘じる。見た目はちゃらちゃらしているように見えても、中身はしっかりしているのだろう。 「みちるさん。俺のこと、ちゃらんぽらんだと思ったんでしょ?」  図星を突かれて、みちるはムッとしながら眉を寄せた。 「あはは、わかりやすい反応!」  みちるの髪の毛をすくいとると、伊織はくるくると指先に巻き付けた。 「俺の髪はね、明るい色の地毛で天パーなの」  伊織のほんの少し癖のある茶色い髪の毛は、見るからに柔らかそうだ。みちるはしっかりとコシのある黒髪ストレートなので、まったく違う毛質だった。  まじまじと見ていると、長いまつ毛に縁どられた黄色味の強い瞳がみちるをいたずらっぽく見つめてくる。 「触ってみる? よく、犬みたいって言われるんだ」 「遠慮する。それより早くペットのことを」 「遠慮しないで。ペット飼ったらこんな感じって思えるかもしれないよ」  伊織はみちるの両手を掴むと、自身の髪の毛へ誘導する。びっくりしたのだが手を引っ込める前に触ってしまった。   「え、うそ! すごく柔らかい……」  自分の髪とまったく違う柔らかさと気持ちよさに、思わず撫でてしまった。 「犬とか猫は種類にもよるけどこんな触り心地……どう、気持ちいいでしょ?」 「ずっと撫でてられるかも」 「ペットたちは撫でられるの好きだよ。俺もだけど」  みちるが手を止めると、くすくすとおかしそうに笑われる。またもやからかわれたと思い、みちるは悔しくてわしゃわしゃと伊織の髪の毛を強く撫でた。 「わあ!」 「大人をからかうんじゃありませんっ!」 「ごめんごめん、悪かったって」  みちるの手首を掴んで引きはがす力の強さに驚いた。弟のようだと思っていたイメージを覆すほど、大人の男性と違わない。 「ペットのお勉強しよう、みちるさん」  伊織は掴んでいたみちるの指先を、前歯の先でカリッとする。みちるは悲鳴を飲み込んで口元を押さえた。 「ダメだよ、いちいちこんなんで驚いていたら。ペットとの触れ合いってこんなことの連続だらね。今から俺で慣れておかないと」 「伊織くんは、ペットじゃないでしょ?」 「似たようなもんだよ」  しどろもどろになっていると、伊織はくすくす笑う。プリントアウトした紙を並べると、「じゃあはじめよっか」と丁寧に説明し始めた。  集中して伊織の話を聞こうと努力するのだが、色々な衝撃が後からやってきては、みちるのヒットポイントを奪っていく。 (なにしてんのよ、私――。直登(なおと)がいるのに、こんな若い子にときめくなんて……)  伊織はちょいちょいみちるの髪の毛をつついたり、さりげなく指先に触れてきながら説明をする。 (伊織くんは一生懸命説明してくれているだけ。トキメクな私! ばか!)  自分のなまっちょろい心臓を叱咤する。みちるは精一杯の大人の余裕を顔に出そうと努力しながら、伊織の話を聞いた。
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