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第10話
「――っていう感じだから、そうだなあ。みちるさんは、気になる子いた?」
言われて、みちるはいっぱいいっぱいになっている自分に疲弊しており、まともに返事ができない。
「えっとごめん……」
「俺の説明、わかりにくかった?」
困ったように首をかしげられて返答に詰まった。まるで、子犬のウルウルした瞳に見つめられているような気持になってしまう。
そうじゃない、と答えた声はかすれていて説得力がなかった。
「ごめん。せっかくみちるさんが時間取ってくれたのに、わかりにくい説明して」
「違う違う。伊織くんが悪いわけじゃなくて、ちょっと疲れてきちゃって」
「仕事終わりだもんね。遅くまでつき合わせちゃったね」
それにみちるは首を横に振った。謝るのは自分のほうなのに、伊織にばかり気を遣わせてしまっている自分がふがいない。
「違うの、本当に。伊織くんは悪くなくて、集中できなかった私が悪いわけで。あと、いろんな子がいすぎて迷っちゃう」
「じゃあ、お休みの日なら集中できそう?」
「え?」
「これあげる」
資料をまとめると、みちるへ手渡す。なんていい子なんだろう。それを受け取ろうとすると、ひょいと持ち上げられてしまった。前言撤回だ。
「伊織くん?」
「あげるけど、その様子だと一人じゃ勉強しなそうだよね、みちるさん」
「するする、やる気すごくある」
「本当?」
覗き込まれて、みちるはこくこくと首を縦に振った。伊織の手が伸びてきて、みちるの髪の毛を耳にかけた。
「ピアスの穴、あいていないんだ」
「え、あ、うん……痛いの嫌いで」
伊織はなにか言いかけて開けた唇を閉じた。一瞬口を引き結ぶと、穏やかな笑顔になる。
「一緒に勉強する? 休みの日」
「はい?」
「次のお休みいつ? 土曜だけど、明日は休み?」
「え、休みって……勉強?」
「みちるさん、スケジュール帳は?」
早く、と急かされてしまい、咄嗟にスケジュール帳を取り出して明日が休みなのを確認する。
「土日は休みだけど、私出かけなくっちゃで。次のディスプレイ案件の参考に、ウィンドウショッピングして視察をしないとなの」
「じゃあ俺がお供するよ」
嫌? と悲しそうな顔で覗き込まれてしまい、断れない雰囲気になる。あまりにも近くで覗き込まれたため、慌てて身を引いた。
「伊織くんは、休みの日に友達と遊んだりしなくていいの?」
「うん。俺、みちるさんと一緒にいたい」
ストレートな物言いに、みちるの心がぐらついた。
自分には彼氏がいる。
伊織は年下でなんのしがらみもなく、恋に発展するはずもない学生ではあるが、休みの日に男性と出かけていいわけがない。
(でも……ギリ、セーフかな?)
伊織は可愛いしいい子だし、見ていてとても癒される。それくらいは、下心のなんでもない。眼福を求めた推し活みたいなものだ。
みちるは少しためらったあとに、まあいいかとうなずいた。こんなの浮気のうの字でもない。そもそも、みちるのは下心さえない。
「わかった。じゃあ付き合ってもらおうかな」
「楽しみにしてる。時間外労働が終わったら、俺と勉強ね」
「うん」
「終わらなかったら、滿さん専用の居残り勉強もあるから覚悟してね」
「肝に銘じます」
連絡先を交換し、みちるは伊織と別れたのだった。
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