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第11話
休みの日まで仕事のことで頭がいっぱいというのは、まさしく社畜だ。しかしこの仕事にやりがいも生きがいも感じているから、そんなことは気にならない。
しかし、同行者がいるとなると別だ。
「待って。若い子と一緒に並んで、恥ずかしくない格好ってなに!?」
みちるは勢いで伊織と約束をしてしまってのちに、気持ちが一気に冷えた。
「いやいや、伊織くんとデートなわけじゃないんだし。格好なんてどうでもいいじゃないの!」
わかっているのだが、一緒に歩くのだからあんまりおかしな格好にならないようにしなければ、と思う。
伊織の私服を思い出しつつ、悩みに悩んだ末、ニットのセーターにアンサンブルのスカート、ニット帽にモッズコートにした。
「なに意識しちゃってるんだか。ばかみたい」
ちょっときれいな若い子に懐かれたからと言って、浮ついている自分の心に反吐が出そうになった。
連絡のない彼氏に萎えてきているのかもしれない。伊織のような可愛い子のちょっとした刺激に、心がざわざわと落ち着かない。
「直登……いつ連絡くれるのやら」
十年越えでつきあっている彼の名前を呼ぶ。
彼に触れたのはいつだっただろう。いつ、電話をしただろうか。最後のデートは、ディナーは、なんだったっけ。
顏も忘れていないか心配になってしまい、直人を思い出そうと目をつぶった。アメフト部だった直登はガタイが良くて上背がある。鍛え抜かれた身体に、さわやかで甘いルックスが魅力的だ。
「よし、顔覚えてる。声も覚えてる、よし!」
直登のことを鮮明に思い出すことができ、みちるは自己嫌悪から少しだけ抜け出せた。鏡を見ながら、落ちてきた髪の毛を耳にかける。
直登とは違う細い伊織の指を思い出し、胸がドキドキしてくる。生き物たちの世話をしている最中に噛まれたのか、小さな傷があったが、繊細そうで柔らかな指だった。
「最近の子って、あんなに距離感近いものなの……?」
覗き込んでくる伊織のアーモンド形の瞳を思い出す。彼の瞳に自分が映っているのが見えるくらいの距離。さりげなく頭を撫で、耳に触れる指先。
唇に触れた指先を思い出せば、そこから熱がじんわりと広がってくるようだった。
「バカバカ、私のバカ。相手は子ども、学生、ただの若い子!」
きっと、ペットを飼おうか悩んでいるみちるに、興味を持っているだけなのだ。だからきっと、伊織の興味が逸れたら、彼のほうからみちるに近づかなくなるはずだ。
であれば、みちるまで一緒になって、伊織のペースに呑まれる必要はない。冷静になるんだ自分、とみちるは深呼吸をした。
「若い子の好奇心よ。年上女性をからかって楽しんでいるだけ」
たちが悪いと思いつつ、一番たちが悪いのは自分だとみちるはため息を吐いた。
彼氏がいるのに、ちょっと声をかけてきた若い子にときめく優柔不断な自分。
直登といくら遠距離でふれあいが無かったとしても、彼氏は彼氏だ。
そのあたり、みちるはきっちりしているほうだと自覚している。なにかやましいことが起こったら、自分が自分を一番に責めるとわかっているからだ。
直登から連絡が来ていないか確かめようと、携帯電話を見る。新着メッセージが来ている。慌ててメッセージを開けると、直登ではなかった。
「伊織くんだ」
見れば、ボイスメッセージになっている。再生ボタンを押すと、少し低めの声音が再生された。
ドーナッツのお礼と、明日のお出かけを楽しみにしていること。そして、おやすみなさいという一言。
みちるはなぜか猛烈に切なさが込み上げてきて、涙をこらえた。
直登から、こうしてメッセージが来ることを望んでいる。
しかし現実には、出会ったばかりの子に心を揺さぶられる。
「ばか……」
みちるは『ありがとう』と『おやすみ』のスタンプを送ると、携帯電話を放り投げてベッドに入って丸まった。
一人のベッドは冷たくて、布団が温まるまでずいぶん時間がかかって眠れなかった。
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