第16話

1/1
前へ
/109ページ
次へ

第16話

 仕事の合間に、金魚の画像を検索しては眺めた。  熱帯魚も金魚と同じくらい魅力的だ。  色とりどりの魚たちが青い水を泳ぐ姿は、みちるの心を落ち着かせてくれる。美しいアクアリウムの写真を見ると、イライラが治まった。  もはや、デスクの上にアクアリウムが欲しいとさえ思うほど、みちるはここ数日ずっと魚にドはまりしていた。 「せーんぱいっ! 最近ずっとお魚ちゃん見てますけど……水族館のディスプレイの仕事ですか?」  真由子に言われて、魚の写真を見ていたことに気づいた。 「水族館じゃないんだけど、きれいだなと思って」 「わかります~! 癒されますよね魚って!」  真由子は屈託なく笑い、しばらく魚の写真を見ながらおしゃべりする。仕事に戻ろうと、濃すぎるコーヒーを淹れに給湯室へ向かって携帯電話をチェックした。  メッセージが一件届いている。差出人は伊織だ。  見てみると魚の写真が送られてきていた。 「わ、キレイ……!」  見とれていると、それがペットショップの水槽の魚たちだとわかる。わざわざ写真に撮ってくれたのだと思うと、みちるは胸がきゅんとする。 「『きれいな写真、ありがとう』……と」  文字を送ると、すぐに返事が返ってくる。 〈明日、会えるの楽しみにしています〉  みちるは素直に『私も』と返事をした。  息を吐いて大きく伸びをする。コーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、淹れたてのそれをカップによそいながら、デスクへ戻った。 「伊織くんと会うの、明日か。早いな……」  楽しみなことがあると、時間が流れるのが早い。みちるは素早く仕事を片付ける。明日に万が一にも残業にならないようにと、やる気が満ちてきていた。  仕事はサクサク進み、ひと段落ついた時。時計の秒針が動くのを見た瞬間、なぜか罪悪感がもやもやと胸に湧き上がってきた。 (……なんだか、直登に悪いことしてるかも)  直登と連絡を取ったのは、二週間以上前のことだ。  それも、内容はまとまった近況報告に近い。海外出張に行っている場合は、時差もあるため電話は厳しい。  それでもちょっとくらの時間はあるはずだ。どちらかが早起きするとか、遅く寝るとか。調整しようと思えば、きっと合わせることができる。おとななのだから。  しかしお互いに仕事を優先し、恋人としてのコンタクトをしなくなってしまった。それは怠慢からなのか、マンネリからなのかわからない。 (いつの間に、お互いの領域に踏み込まなくなったなぁ)  踏み込まないという表現は正しくない。踏み込んではいるのだが、思いやりという上手い言葉で隠してしまって、その先のコミュニケーションを怠っている。 (会ったのは半年以上も前。それも、食事をしてすぐ解散だったはず)  直登が突然帰国した時に備え、みちるは駅近の広い部屋に住んでいる。  最初はそのことに満足できていたのだが、寂しさを感じてしまっているのは、無駄に大きいダブルベッドのせいではない。  ずっと使っていないままの一部屋も、大きすぎるリビングとキッチンも、空虚さだけが広がっているように感じる。 (だからかな、伊織くんにドキドキしちゃうの。良くないってわかっているけど)  それでも、胸の高鳴りを押さえられない。  可愛い仕草に甘え上手な姿。拗ねたり、笑顔になったりとせわしない。みちるに懐いてくっついてくるのも、悪い気はしない。 (直登に連絡しておこう、このままじゃ私が私を許せなくなりそう)  やましいことをしているわけではないのに、心のどこかで彼氏がしこりになっている。  水の中で自由に泳ぐ金魚にあこがれるのは、自分の不自由さを感じてしまったからに他ならなかった。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

137人が本棚に入れています
本棚に追加