第37話

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第37話

「みちるさん、俺のこと信用してくれているの嬉しいけど。俺だって、男だからね?」 「ペットなんじゃないの?」 「へえ。そんなこと言える余裕あるんだ? 泣きそうな顔して帰ってきて、俺のこと見て嬉しそうにしていたのに」  みちるは押し黙る。伊織をどけようとしたのだが、細いわりにはちっとも動かない。 「伊織くん、中入ろう」 「もう入っているよ。ねえ、ご褒美ちょうだい、みちるさん」 「ダメ、あとで」 「けち」  伊織は口を尖らせた後、じゃあと顔を近づけてきた。 「ペットなんだったら、ご主人様が帰宅したら、盛大に喜ばなくちゃだね」  言うや否や、みちるは伊織に唇を塞がれた。 「ちょ、だめ……伊織く……」  ぺろりと唇を舐められて、驚いて声を発した隙に舌が入り込んでくる。わかっているのに、拒むことができなかった。  マズイと思っていた絶妙な頃合いで、みちるの唇を再度ぺろりと舐めて伊織は離れた。  腰が抜けそうになっている。いや、むしろ半分力が入らなくなっていて、伊織にしがみついていた。みちるの頭を撫でて、伊織がくすくす笑う。 「良かった、みちるさん?」 「……びっくりしただけ」  みちるは下唇を噛みしめて、体勢を整える。伊織が玄関のスイッチに手を伸ばして、電気をつけてからみちるをぎゅっと抱きしめる。  ふわりと、柔らかい伊織の髪の毛がみちるの頬をくすぐった。 「おかえりなさい、みちるさん」  強く抱きしめられて、みちるは切なくなる。伊織の身体は冷えていて、ずっと待っていたことを無言で伝えてくる。  愛しいと思わざるを得なかった。  理性よりも、感情が先に動く。伊織には、みちるをそうさせるなにかがあった。 「……ただいま、伊織くん。待っていてくれて、ありがとう」  頭を撫でると、伊織は嬉しそうにみちるの首筋に顔をうずめる。  こんなペットだったら、飼ってもいい。こうしてずっと、ひたむきに愛情を向けてくれるならば。 「俺が、みちるさんに触れたかった。会って、こうして、触れてもらいたかった」  よしよしと頭を撫でると、伊織は嬉しそうに落ち着いていく。しばらくそうしてから、伊織を仰ぎ見た。 「だからってキスはだめ。彼氏いるって言ったでしょう」 「キス、気持ちよくなかった?」 「そうじゃないわよ……じゃなくて、とにかく部屋入ろう。寒いから」  平然を装って部屋に入り、電気をつける。タイマー予約していたエアコンで部屋はすでに暖かく、コートを脱いだ。  あとから伊織がばたばたと入ってきては「ねえみちるさん、ねえ」と付きまとってくる。 「ねえってば、キス気持ちよくなかったの? 嫌だった?」  ずっと言いながらついて来るので、みちるはおかしくなって笑ってしまった。振り返ると、伊織の頬を両手で包む。  ちょっとびっくりした彼の表情がかわいくて、ついほほ笑む。 「違うわよ……おかえりって言ってくれてありがとう」  伊織の鼻先に、みちるは唇をほんの少し押し当てる。 「じゃあ、俺のこと飼う?」 「それとこれとは話が別よ、もう!」  その後も伊織はみちるの後をちょろちょろとくっついて回ってきて、みちるはそれに笑ったり、彼の頭を撫でているうちに、すっかりと気持ちが柔らかくなっていた。
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