第40話

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第40話

「金魚は、実は飼うのがものすごく難しい生き物なんだ」  みちるは驚いた。 「そうなの……?」  振り向くと、暗闇の中で伊織が優しくも切ない顔をしているのが見える。腕が伸びてきたかとおもうと、腕枕をしてくれた。 「ペットショップにいっぱいいるし、飼育は簡単と思う人が多いんだけど。実は金魚は初心者には向かない生き物だよ」 「そんなの、聞いてない」 「言ってないから」  いたずらっぽく笑われて、みちるは口を尖らせた。 「金魚は環境変化に弱くて、すごくデリケート。購入して三日で死なせてしまう人も多い。すぐに死んじゃったって、クレームがくることもある」 「お店のせいではないんでしょう?」 「もちろん。環境の変化に弱いから、連れて帰っていきなり別の水槽に入れられたらストレスで死んじゃうよ」  丈夫そうに見えていた金魚たちが、か弱い生き物だとは思ってもみなかった。 「本当は、金魚より熱帯魚のほうが簡単。ヒーターつけておけば、気がつけば繁殖しちゃう。初心者だったら、断然熱帯魚がおすすめ」 「ちょっと待って……それなら、なんで私に金魚すすめたの?」  伊織はもう一方の手でみちるの頭を撫でた。 「みちるさんの性格だから、熱帯魚用の道具そろえるの面倒かと思って」  それに、と伊織は続ける。 「金魚はみちるさんにそっくりだから」 「私に?」 「キレイで強そうなのに、実は弱くて脆い。十年越しの恋愛を大事にしているみちるさんにそっくり。新しい恋愛にチャレンジせず、今までのまま」  嫌味のない言いかたが、逆にすがすがしい勢いでみちるの心に刺さった。 「それに。飼うのが難しいってわかったら、これから先も俺を呼ぶでしょ?」 「ずるいわ、伊織くん」 「飼う前に言ったんだから、許してよ」  ペットショップの店員だし買ってもらわなきゃだから、と伊織は可愛く笑う。 「そんな難しいなら、飼える自信がなくなってきちゃった」 「だったら、俺にしておきなよ」  伊織は優しい瞳でみちるを見つめてくる。 「俺なら金魚みたいにすぐ死なないし、みちるさんの寂しさを満たす話相手になれる。さっきも言ったけど、料理と家事全般は得意だよ」  ものすごーくお得だよ、と伊織が笑う。 「なんで……私なの?」 「一目ぼれとか言ったら引く?」  みちるは首を横に振る。現実主義者の皮をかぶって、みちるの思考はファンシーだ。少女のまま止まってしまった恋愛観に、一目ぼれとか運命とかの言葉は妙に刺さる。 「だからみちるさん、居候だと思って俺を選んで」  ぎゅっと抱きしめられて、今日の出来事がフラッシュバックした。直登と会ったのに、寂しさが広がっていた心は、今や伊織によって満たされている。  伊織のまっすぐな気持ちに応えたい。直登とのことを考えるよりも、目の前の青年を愛しいと思う気持ちが勝った。 「――……わかった。私のところに来て」  伊織ははしゃいで喜ぶかと思いきや、ほっとしたように小さな声で「良かった」とつぶやいて、みちるを強く強く抱きしめた。  切ないくらいの親愛の情を感じ、みちるの心が締めつけられる。 「いい子にしてね……私も、いい同居人になる」  こうして、みちるは伊織を迎え入れることに決めたのだ。
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