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第41話
金魚を飼おうと思っていたのに、気がつけば大学生の男の子と同居していた――。
翌朝。
良い香りに目を覚ますと、とっくに起きていた伊織が朝ご飯を作っていた。物音に気がついて振り返った彼が、寝起きのみちるを確認してぱっと顔を輝かせる。
「みちるさん!」
「……おはよう。これは?」
「みちるさん、相変わらず冷蔵庫になにもないんだね。甘くないパンケーキと、ベーコンとスクランブルエッグだけどいい?」
言いながら伊織はみちるに寄ってくると、ちゅ、とほっぺたにキスをした。
「おはよう、みちるさん」
みるみる目が覚めてくる。むしろ、心臓がバクバクしてきた。
「おはようのキス。嫌だった?」
「……か、顔。顔洗ってくる」
バスルームに駆け込んでいくみちるのうしろから、伊織の笑い声が聞こえてくる。
「ホント可愛いなぁ、飽きない」
伊織は鼻歌混じりに、みちるが来るのを待っているようだ。
顔を洗い終えて、すっかり目が覚めたみちるは、自分に喝を入れて改めて朝ご飯に集中しようと決意した。
「伊織くん本当にお料理上手なのね」
「そ。一人暮らしが長いから。みちるさん、冷める前に食べよう」
手を合わせて、いただきますと声を揃える。誰かに作ってもらったご飯のおいしさに、みちるは思わず頬が緩んだ。
朝ご飯は洋食か和食か、という話題に話を弾ませていると、みちるの携帯電話が鳴る。ディスプレイを見れば、直登からメッセージだった。すでに食べ終わっていたので、みちるはそれを手に取る。
「ごめん、彼氏からの連絡。見ていい?」
「もちろん」
伊織は気にすることもなく、食事を続けている。みちるの体調を心配する内容のメールだった。良くなったと返事をすると、すぐに『良かった』と返事がくる。
(いつもは返信すごく遅いのに……)
やましいことがあると、人に隠そうとして不自然な行動になるものだ。
やっぱり直登は浮気をしているのだろう。今電話をしたら、もしかしたら確証がもてるかもしれない。
けど、それはみちるも一緒だ。
「どうしたのみちるさん、渋い顔してるけど……彼氏からじゃないの?」
「そうなんだけど」
「まさか、浮気された?」
弾かれたように顔を上げると、伊織のほうが逆に驚いた顔をした。
「冗談だったんだけど……まさか、本当に?」
今度伊織は眉をひそめる。
「まだ、わからないけど」
尻すぼみになりながら答えつつ、あれが浮気じゃなければなんなのだろうと考えた。
「みちるさん、大丈夫?」
「平気よ」
「強がらなくてもいいのに……俺で良ければ、いつでも話聞くからね」
みちるは胸が締めつけられた。心の傷をえぐるような言葉を言わない所が、伊織なりの優しさだ。
「……本当に大丈夫?」
大丈夫、と答えてから彼を見ると、ムッとした顔をしていた。そして手に持っていたコーヒーカップを置くと、みちるの隣にやってくる。
「じゃあ泣かないでよ、みちるさん」
怒った伊織が語気も強く言い放ち、次の瞬間、みちるの両肩に彼の手が乗せられる。
「大丈夫なら泣かないで。大丈夫じゃないなら泣いて。俺、ずっと側にいるから」
真剣な瞳で覗き込まれ、みちるはやっと自分が泣いていることに気がついた。
「うっ……ごめん……ちょっとだけ胸を貸して」
伊織にしがみつきながら、みちるは堪えきれなかった涙を流した。
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