第1話

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第1話

 彼氏とほとんど顔を合わせていない。  それでも仕方ないと割り切れるのは、彼への気持ちが冷めたわけでも、自分が忙しいからでもない。  『遠距離』という漢字三文字が、気持ちの諦めを確固たるものにする。  しかし、よくよく考えてみれば、遠距離になった二年前よりもっと前から、身体を重ねる回数が極端に減っていなかったように思う。 「今村先輩、このチェックお願いできますか? 照明どうしましょう」  思考が飛んでいた所を、後輩に声をかけられて一気に現実が戻ってくる。 「先方のニーズは?」  差し出されたラフ案の図面をチェックしながら、迷っているという照明類の別資料も受け取った。 「できる限りナチュラル志向がいいそうです。と言うと、この辺りが無難ですかね?」 「いい線だけども、この照明かなり高いよ」 「げ。それじゃ無理かも。結構予算かつかつで」  それにみちるは苦笑いをする。 「だったら、同じようなもので、いくつか代案できると思う。資料室にナチュラル系の照明資料あるから、その中の価格帯安めのものをチェックしてみてくれる?」  この辺りがおすすめ、とすぐさまパソコンの画面に照明の画像を表示させると、「おお!」と後輩が声を上げた。 「さすが今村先輩! これ、めっちゃいいですね」 「このファイル共有にして送るから、こっちもチェックね。十五時までには絞ってくれる?」 「了解です!」  ぺこりとお辞儀をすると、彼女は足取りも軽くデスクへ戻っていく。みちるはすぐに自分の持っているファイルを共有にし、別の作業に取りかかった。  みちるが勤める店舗ディスプレイのデザイン事務所は、小規模ながらも大変繁盛している。ディスプレイの専門をやっている事務所が少ないところに目を付けた、隙間産業だからだ。  ついでに言えば、みちるはその中でもダントツの実績を誇る会社の出世頭でもあった。もうすぐ三十になる手前で、これだけの実績を叩き出せたのは、この活気のある会社のおかげだ。 (キャリアアップ、かあ……)  先月、みちるは主任から係長になった。それはもはや、この会社に永年就職を約束されたも同然。  仕事は好きだ。  みんながハッと振り返るディスプレイを作ることが、みちるにとっては何物にもかえがたいほどのやりがいになる。仕事に熱中すると、胸が熱くなる思いやドキドキを感じる。  ウインドウの前で立ち止まって見入ってしまう、そして、写真に収めてしまう。はたまたじっくりと見つめてうっとりしてしまう。  そんなものを作れた時やお客さんや通行人の反応を見ていると、仕事を頑張って良かったと思える。  それと同時に、そろそろ気になりだしたのは結婚の二文字だ。高校生の時から付きあっている一つ年上の彼氏とは、かれこれ十年になる。 (仕事とプライベートの両立って、この国では難しいのかしら? いや、私が難しくしているだけ?)  パソコンから目を離し、一息つこうと立ち上がって給湯室でコーヒーを淹れる。濃すぎるくらいの苦味にほっとしながら、ポケットの中から携帯電話を取り出す。  もちろん、誰からのメッセージも着信もない。  もうすぐ彼氏と付き合って十一年。記念日まであと一週間。  ここ最近と言わず、かれこれずっと連絡はまばらで、正直どうしていいのかわからない距離感になってしまっている。  どんなに忙しくても、記念日は会おうね。そういう約束だったじゃないか。  しかし、外資系に勤める彼氏の直登(なおと)は、それすら叶えてくれない。 (彼氏って、こんな感じだっけ――?)  気持ちが遠ざかっていく。会えない時間と、距離と共に。  携帯電話の電子の文字に、一喜一憂したくなんてないのに。電波ごときに気持ちを確かめられたくはないのに。  みちるはコーヒーをぐびっと飲み込むと、デスクへ戻った。
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