第44話 

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第44話 

 直登から連絡があったのは、それから二日経ったあと。出国するという二時間前のことだ。  それまでにちょっとでも時間を作って話し合おうと言われることを期待していたのに、見事に空振りしてしまった。  みちるの言った『弟とはなにもない』を信じているのか、それとも愛想が尽きたのか。  もしくは、飼い犬にかまれたような気持ちになって呆然としているかもしれない。 「直登? もう出発?」 『ごめんな、みちる。また帰ってきた時に会おう』 「いいお店探しておく」 『次は、久しぶりにみちるの手料理もいいな』  料理が得意でないことを直登は知っているはずだ。だから、今までも頼まれたことはない。  一緒に住むと言った友達の弟――伊織を気にして牽制しているように思える。 「料理得意じゃないから。直登の好きな、日本酒の種類が多いところにしておくから」 『一緒に作る? 俺もちょっとくらいは作れるようになったし、みちるの家で――』 「弟くんにも迷惑かかっちゃうから、また今度にしよう」 『……わかった。それなら、お店は頼むよ』 「気を付けてね」  空港の案内音がうるさくて、声が聞き取りにくい。みちるはそれを理由に電話を切る。 「――あれ、今村先輩なんか浮かない顔してる。この間、私が勧めたお店あんまりでしたか?」  ひょいと顔を覗かせてきたのは真由子だ。 「違う違う! すごく良かったんだけど、私酔っちゃって」 「先輩お酒飲めないですもんね」 「そうなの。今度は、お酒少なめのいいお店あったら教えてよ」 「彼氏さんお酒好きなんじゃ……?」  みちるは肩をすくめてから、椅子の背もたれに寄りかかって伸びをした。 「今度会った時はちゃんと話したいの。お酒でうやむやになるのも嫌だし」  みちるの言に、真由子は目をキラキラと輝かせた。 「まさか、結婚の話ですか!?」  いよいよかと真由子は意気込む。それにみちるは苦笑いをしてしまった。真由子はきょとんと首をかしげた。 「そっか、逆プロポーズっていう手もありと言えばありか……」 「ありあり、大ありですよ先輩! 今どきっぽいです!!」 「でもまずは今後について話し合わなくちゃ。付き合って十年経つし」 「いい方向に進むといいですね! 先輩、結婚式にはぜひ呼んでくださいよ」 「それはもしかして真由子ちゃん、いい男狙いに来る感じ?」  バレちゃったか、と真由子はいたずらっぽく舌を見せて笑った。  結婚や彼氏に、理想やキラキラしたものを見出せている真由子が、みちるはほんの少し羨ましかった。  現実は、寂しくて厳しい。  結婚間近と言われ続けて、はや数年。  気持ちはキラキラから遠ざかって行くばかりで、誰かの結婚式でいい出会いを望むというのは考えられなかった。 (もちろん、それは直登がいたからというのもあるけれど)  幸せそうな年賀状の写真だけが、その人が幸せであることを主張する。しかし、それが果たして本当に毎日がハッピーなのかどうかは、わからない。  本人たちにしか理解できない問題を抱え、実態を隠している家族や恋人は大勢いる。みちるも、もれなくその一人になりつつあった。 「よし、仕事仕事!」  濃いめのコーヒーを飲んでパソコンへ向き直ると、メッセージが届いている。  伊織からだ。 〈みちるさん、夕飯なにがいい?〉  みちるは『ハンバーグ』と返事をする。すぐに伊織から連絡が来た。 〈飛び切り美味しいの作ってあげる〉  可愛いクマのスタンプに笑いながら、携帯電話をしまう。たった数文字だけでこんなに気持ちが躍ることが、今はなによりも救いだった。
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